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2013年3月16日土曜日

編集者・美術批評研究 筒井宏樹

アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、編集、美術批評研究に携わる筒井宏樹さんにお話を伺いました。 
 

「であ、しゅとぅるむ」展示風景
アートとの出会いについて教えてください

東京にいたとき、修士課程修了まで芸術学を専攻していましたが、芸術理論には関心があっても、当時は美術の作品や現場に対する関心はほとんどありませんでした。大学の授業で学んだ古代ギリシアの墓石や北方ルネサンスの絵画を面白いなと思うことはあっても、現代アートに関しては正直よくわからなかったですね。美大だったので比較的恵まれた環境にいたと思うのに自分がまだそれらを受容できる状態になくて、もったいなかったです。

現代アートと関わるようになったのは愛知県立芸術大学(以下、愛知芸大)の博士後期課程に入ってからです。愛知芸大の博士後期課程では、油画、日本画、彫刻、デザインなどの実技系の学生と、理論系である芸術学の学生が博士棟という同じ建物の中で学んでいて、講評なども一緒に行われていました。この未分化な状況はなかなか混乱もしましたが、それこそ強制的にアートと出会う良い機会となりました。博士後期課程の学生には油画の坂本夏子さん、彫刻の占部史人さん等がいました。彼らとは実際にはたまに話す程度の交流でしたが、僕にとってはアートとの貴重な出会いだったと思います。



芸術学に興味を持ったきっかけはなんですか?


芸術学は、実技を専門とするのではなく、美術史や美学といった芸術理論を中心に学ぶ専攻ですが、僕自身はそれほどたいした動機もなく芸術学を選びました。むしろ大学に入って専門的に勉強を進めるうちに、徐々に興味が深まっていったかんじです。

愛知芸大の芸術学専攻は、西洋美術史や美学とはまた別に現代アートコースが設けられているので、現代アートを専門に学ぶにはとても良い環境でした。ロザリンド・クラウス著『オリジナリティと反復』の翻訳で知られる小西信之先生が現代アートコースを受け持っています。授業でジェームス・マイヤーの「Minimalism: Art and Polemics in the Sixties」を読んだり、また小西先生がライフワークにしているロバート・スミッソンについての話を聞くのが楽しかったですね。僕自身はクレメント・グリーンバーグについての研究をしていますが、卒業生では例えば塩津青夏さん(愛知県美術館)がバーネット・ニューマン、河田亜也子さん(兵庫県立美術館)がハラルド・ゼーマン、三輪祐衣子さん(名古屋ボストン美術館)がウィリアム・ケントリッジの研究をするなど、近現代の美術を勉強している方々がたくさんいたことは良い刺激となりました。



批評ベースで活動を展開されたのはなぜですか?


愛知芸大における僕の指導教官はイタリア・ルネサンスの専門家である森田義之先生ですが、森田先生が「現代アートを研究するなら、もっと知り合いを増やしたり、現場と関わったほうがいい」と、愛知を拠点とする美術批評誌「REAR」に参加することを勧めてくれたんです。「REAR」のことは大学受験時に予備校でお世話になった美術批評家の山本さつきさんが編集に携わっていたこともあって創刊当初からその存在を知っていました。そして、森田先生に「REAR」メンバーで愛知芸大の学生だった堀尾美紀さん(現在、多治見市美濃焼ミュージアム学芸員)を紹介していただいたことをきっかけに、「REAR」の編集メンバーに入れてもらったんです。もともと美術批評の研究をしていたので、その知識や関心を多少なりとも実践的に生かせる美術批評誌という活動の場に参加できたことはとても幸運でした。

REAR」は中部圏、特に東海地方の展覧会評をたくさん掲載するところに大きな特徴があります。美術家、学芸員、画廊、コレクター、アートファン、大学教員など、地域の美術に関わる人々を間接的につなぐことが、こうしたメディアの果たす重要な役割ですね。おかげさまで僕も「REAR」を通して愛知県の知り合いが増えました(笑) また、「REAR」に関わる個人的な動機を言うと、美術批評というジャンルに限定すれば、インディペンデントによって地域で活動していてもその業界における主要なメディアとなり得るから、というのもありますね。例えば、現代アートの大手メディアである「美術手帖」は、現代アートの総合誌として美術批評だけではなくさまざまな役割を担わなければならないだろうから、そこまでたくさんの展覧会評を載せることは難しいと思いますし、独立系雑誌だからやれることもあると思います。



REAR」や「Review House」の編集にかかわっていらっしゃいますが批評の動向についてどのように感じますか?


最近では「世界美術史」という言葉をよく聞くようになりましたが、「具体」展(グッゲンハイム美術館、2013年)や「もの派」展(ブラム&ポー、2012年)、「東京 1955-1970」展(ニューヨーク近代美術館、2012年)など、近年は戦後日本美術に対する関心が海外で高まっています。「ARTFORUM(20132月号)でも戦後の日本美術を扱った特集が組まれました。それは批評がよりアカデミックになってきている状況とも無縁ではないと思います。

21世紀に入って10年以上が経過した現在、20世紀美術がいよいよ歴史研究の対象になってきたなというかんじがあります。ロザリンド・クラウスやイヴ=アラン・ボワ等が「Art since 1900」という20世紀美術および美術批評の集大成とも言うべき記念碑的な著作を出しました(日本語訳はまだありませんが、現代アートのNPO団体AITがこの本の内容を紹介する「FREE MAD」という無料レクチャーシリーズを公開しています)。著者たちはアメリカで最も有名な美術批評家ですが、この本は20世紀美術や彼らの批評をとにかくアーカイブ的にまとめたという印象があります。批評家が執筆しているので、確かにイデオロギー的に中立な歴史書とは言えないかもしれませんが、彼らの仕事のなかでは異例にも教科書的な記述で書かれています。そして、彼らよりも後続の世代の仕事としては、美術をめぐる状況に対して問題提起をしたり、美術批評の更新を目指すような批評的な仕事よりも、こうした歴史のアーカイブからなおも抜け落ちた対象を補完していくような研究のほうが目立ってきているように思います。

日本でも同様の傾向が見受けられて、椹木野衣さんが90年代に『日本・現代・美術』(新潮社、1998年)で、戦後日本美術を通史で記述することの不可能性という、極めて批評的な語り口で歴史記述を行っていました。しかし、2000年以降はむしろ20世紀美術の当時の状況を整理したり、抜け落ちた情報を補完していくようなアーカイブ的な仕事が増えてきているように思います。例えば、中ザワヒデキさんによるバイリンガルの20世紀美術史『現代美術史日本篇』(アロアロインターナショナル、2008年)や、エイドリアン・ファベルによる社会学的アプローチから書かれた「Before and After Superflat: A short History of Japanese Contemporary Art 1990-2011」もそうですし、『宮川淳 絵画とその影』(みすず書房、2007年)、『中原佑介美術批評選集(全12巻)』(現代企画室+BankART出版、2011年〜)のように戦後第一世代の美術批評が再び読めるようになったことも例として挙げられると思います。あと、加治屋健司さんが代表を務める「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」は、口述史料という歴史の情報を補完する精力的な活動を行なっています。

こうした動向を考慮すれば、「REAR」も同時代の美術に対する批評を行うとともに、地域の美術の情報を蓄積しているので、それらの情報によりアクセスしやすい雑誌になればと思います。ちなみに29号からは、全国の書店およびインターネット書店でも入手可能になります。ゆくゆくは目次だけでもバイリンガルにすると良いかもしれませんね。



石崎尚さんとのユニット「FILE-N」をとおして筒井さんがやろうとしていることは何ですか?


現在、東海地方には、関東・関西・地元とそれぞれ出自の異なる20代、30代の優秀な学芸員の方々がたくさんいます。その中の1人が石崎さんですね。もともと知り合いで、石崎さんが名古屋へ来ることがあれば「名古屋CAMPをやろう」と約束していたんです。そうしたら、石崎さんが本当に名古屋に来ることになったので、はからず実現しました。ちなみに「FILE-N」のモデルとなったのは、東京を中心に頻繁にアートイベントを主催している団体「CAMP」です。「CAMP」はデザイナーの井上文雄さんを中心に運営されていて、もともと2005年の「MUSEUM OF TRAVEL」という展覧会企画が起点となって発足した団体です。トークイベントが基本ですが、とにかくイベントの頻度と人選の幅広さがすごいんです。東京はアートシーンが大きい分、コミュニティがそれぞれに形成されてしまって棲み分けが起こりやすいんですが、「CAMP」がそれらの異なるコミュニティ間を結びつけるような働きをしていて、現在のアートシーンの活性化に大いに貢献しているように感じます。

名古屋のアートシーンは、東京とは異なって棲み分けはあまりないんですが、閉鎖的になりやすい傾向があるように思います。閉鎖的なことは、独特の時間感覚を生み出したりするので、必ずしも悪いことだとは思いませんが、一方で僕自身が名古屋に住んでいてマンネリに感じることがあるので、ときどき小さな「祭り」があればと思うところはありました。そこで「FILE-N」では、ささやかでも人々が直接集まる形式で、できるかぎり東海地方の外の文脈を紹介するようなアートイベントを企画できればと考えています。また、名古屋では現在、「N-MARK」、「Arts Audience Tables ロプロプ」、「EAT and」など、さまざまな団体によるアートイベントがあります。「FILE-N」もそのような市民活動の1つとして名古屋のアートシーンを盛り上げることに貢献できればと考えています。



「であ、しゅとぅるむ」展の企画をされましたが、あらためて学んだ点や苦労した点はありましたか?


「であ、しゅとぅるむ」(dersturm.net)は、11組の作家がチームを組んだりしながら「バックグラウンド」をテーマに展示するという展覧会でした。参加作家は、伊藤存さん、小林耕平さん、泉太郎さん、梅津庸一さん、大野智史さん、千葉正也さん、福永大介さん、キュウ・タケキ・マエダさんといった美術家の方々、また、二艘木洋行とお絵かき掲示板展、山本悠とZINE OFFqpとべつの星といったネットの絵師やイラストレーターのチーム、坂本夏子さんと鋤柄ふくみさん、池田健太郎さん、辻恵さん、文谷有佳里さん、もぐこんさんといった愛知チームなどです。

作品そのものを単体として良く見せるというよりも、別の作家と干渉し合いながらの展示であったため、作家にとっても鑑賞者にとってもやや戸惑うものとなったかもしれません。企画者の僕からしても11組の作家それぞれにキュレーションをお願いしたようなものなので、全体の展示プランをある程度まで用意していても実際にどのような展示になるのかは展覧会がはじまってみるまでわからないところがありました。しかし、もし「であ、しゅとぅるむ」に見所があるとしたら、そのような視覚的にも文脈的にも異物混入的な部分だったり、オープンエンドな形式だったりするのではないかと思います。例えば、KOURYOUさんの作品(kurisupi.com)や、「であ、しゅとぅるむ」用のお絵かき掲示板は、展示会場からだけではなく、インターネットからも自由にアクセス可能です。実際に、お絵かき掲示板には参加作家だけではなく、インターネットの絵師たちによる絵の投稿がありました。また、模造紙の通路も、参加作家や来場者が自由に絵を描き足したりして、ある種のコミュニケーションの場として機能しました。他にも、参加作家同士が、ZINEを作ってお互いに交換したり、コラボレーション作品を作って展示したりするなど、通常ではあまり見られない様々な試みが起きたことは、企画者として想定外のうれしい出来事でした。

多くの方々のご協力によって、なんとか開催できた展覧会ですが、特に山下ビルの山下幸司さんにはとてもよく応援していただきました。山下さんがチラシを渡してくれたおかげで、「ゼロ次元」の岩田信市さんが展示を見に来てくれるなど、思いがけない広がりが生まれる契機を作ってくれました。



名古屋のアートシーンについて感じることを教えてください



岩田信市さんが荒川修作や赤瀬川原平と旭丘高校美術科の同級生だったり、奈良美智さん、杉戸洋さん、小林孝亘さん、長谷川繁さんが同じ愛知県立芸術大学ラグビー部だったり、OGRE YOU ASSHOLEやシラオカといったバンドが愛知県立芸術大学の彫刻科や油画科の同期だったり、名古屋のアートシーンはとても小さなコミュニティから面白い方々が登場する傾向があるように感じます。「であ、しゅとぅるむ」展にも来てくれた、たんぱく質さんとか、やすだゆうかさんとか、その界隈の若い世代のアーティストのことが気になっています。


筒井宏樹 プロフィール
名古屋市生まれ。フリーランスの編集者。美術批評研究。東京芸術大学芸術学科卒業。現在、愛知県立芸術大学大学院博士後期課程在籍中。「Review House」編集員。「REAR」編集メンバー。携わった展覧会=「イコノフォビア 図像の魅惑と恐怖」(愛知県美術館ギャラリーおよびflorist_gallery N2011年、コンセプトメイキング)、「Pandemonium」(XYZ collective2012年、カタログ編集)、「であ、しゅとぅるむ」(名古屋市民ギャラリー矢田、2013年、企画)など。





2012年12月16日日曜日

GALLERY APA 渡邊見美

アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、GALLERY APAの渡邊見美さんにお話を伺いました。 

渡邊さんがAPAを引き継がれてどれくらいになりますか?

2003年5月に先代の父が亡くなり、私が企画展を始めたのが057月です。でも最初の1年半ほどは、父の代からお世話になっている作家さんなどから「この人をやりなさい」と言われてやっていました。ギャラリーというのはこういうものかと思っていましたが、年齢が離れたキャリアのある作家さんの企画展を自分がやりたいわけでもなくやっているのが苦痛で。「この人を」と言われても断って自分で作家を探すようになり、私らしさが出てきたのはここ数年ですね。 

お父様の時は一定の評価のある方を扱っていらっしゃいましたが、渡邊さんの代になって若手でも実力がある方が1階で個展をするようになり、APAのイメージが変わりました 

あるギャラリーの方が、自分の年齢の上下10歳くらいまでの作家がつき合っていきやすいと言っていましたが、年齢が離れていると価値観や作品のいいと思うところも違ってきます。背伸びするよりも自分がいいと思える作家を紹介した方がいいと、方向性を変えました。若手を取り扱い始めた当初は「俺のプライドはどうなるんだ」とおっしゃる古株の作家さんもいましたが、ひるみませんでした。 

画廊のお仕事をされていたわけではないのに、APAを引き継ごうと思われたのはなぜですか? 

2005年4月からAPAの運営に関わったのですが、それまでは父が信頼していた方から紹介された人に任せていました。その人が父の思い出話をするお客様に「そういう話をするなら来ないでください」とか、何度かいらしたお客様に「そろそろ買ってください」と言ったりしたため、父との会話を楽しんで絵も見てくださっていたお客様が離れていきました。「行きづらくなった」という手紙や電話をいただき、このままではいけないと一念発起しました。

また、その年の56月は壁の補修をするために休廊予定だったところ、4月に突然、新聞に「APA閉廊」と書かれてしまいました。任せていた人がそのことを隠していて、ある作家さんから「APAが閉廊すると僕ももうできないね」と言われて愕然としました。その人には辞めてもらうことが決まっており、「私が辞めるから続けていけないんじゃないですか」と根拠のないことを話していたらしいです。でも、だからこそ私がやろうと強く思えたのかもしれません。

そんなこともあってAPAの周囲から人が離れていきました。でも人生の勉強をさせてもらいましたし、本当に気の合う人とやっていった方が楽だなと思うようになりました。 

渡邊さんはアートフェアなど新たなフィールドに挑戦されていますね 

まずアートフェア東京に出展を2回応募して落とされました。それで実績をつくろうといろいろなフェアに出展して、3回目にアートフェア東京に出展できました。父がやらなかったことをやりたかったのではなく、もっとアートを身近に感じてもらいたいと参加したのですが、実際に参加してみると、その思いとアートフェアがかけ離れていることに気づきました。アートフェア自体、アートに関係ない人が来るところではないですから。長久手アートフェスティバルに参加したのは、こちらの方がアートの楽しさを広げられるかなと思ったからです。趣味でつくったような作品をダンボールに並べている方もいましたが、私はパネルで壁面をつくって絵を展示しました。そうしたら、5000円の作品を迷われていたお客様が会場を一周して戻ってきて、「初めて絵を買うんですけど、どうやって掛けたらいいですか」と買ってくれました。

クリエイターズマーケットには招待ブースで参加しましたが、温度差がありました。「高い」と言われるお客様が多かったですし、いつもどおりに整然ときれいに展示したら、近寄ってもくれませんでした。だから今回の長久手はポストカードから置こうと。そうすれば原画を手に取ってみたくなるかもしれないですし、そういうものも必要と思いました。 

経験なく始められたからこそ、既成概念にとらわれずに活動を広げられたのでしょうか? 

作家さんに「見美さんは作家っぽい」とよく言われます。壊したい、そして自分のやり方で見せたいというところが作家みたいだと。中日新聞に取材された時も「福袋やチャリティで全額寄付など他のギャラリーがやらないことをやるのは、他とは違うことをしてやろうと考えているからですか」と聞かれましたが、そういうわけではないです。福袋は熱帯魚の店でもやっているので、アートでもあっていいのではと発想しました。こうじゃなきゃいけないとか他に合わせないといけないということはないと思うので、私らしさが出せたらと思います。 

渡邊さんがアートに興味を持ったきっかけは? 

高校生の時にAPAがオープンしたのですが、百瀬寿さんの作品のグラデーションがきれいで思わず「これ欲しい」と8万円で買ったのが始まりです。高校生にとってはすごい金額と思いますが、年に1回くらいそういうことがありました。私が「赤がいい」と言うと、父は「グリーンの方が飽きがこないよ」と。その作品をいま見ると、父の言うことを聞いておけばよかったなと思いますが、父にはお金を払ってそういう勉強をさせてもらいました。 

これまでで、あれは大変だったなと思うことは? 

個展初日の開場時間を過ぎてもここに作品がまったくなく、その時は焦りました。11時オープンなのに作家さんが来たのは13時過ぎで、オープンすぐに見に来てくれたお客様には申し訳なかったです。若手にも約束の搬入時間に現れず、その日の夜中に到着したという人も。大変でしたが思い出に残っているということは、楽しかったということなのかもしれませんね。 

またいつか再開するということはありそうですか? 

そういうことがあったとしても、ここの空間では再開しないと思います。ここは父かつくった空間なので、その時は私が空間を新たにつくると思います。ここで初めて個展をした若手は「その時は僕たちが見美さんを支えます」と言ってくれていて嬉しいです。とくに加藤雅也さんは私が何を頼んでも断らない。ここでやらせてもらうと決めた時から見美さんに頼まれたことは絶対断らないと決めました」と。 

来年33日まで開催の「APA集大成!卒業展」について教えてください 

これまで紹介してきた作家を一堂に紹介しますが、それではいつもと変わらないので初めての作家を2名加えています。「APA成果の集大成展」で33名を見せて、次の週から1週間3名ずつの個展が続きます。これまで1階のMain Roomで展示したことがない作家に、あえてMain Room で展示してもらいます。「期待してるから裏切らないでね」と脅してます(笑)。 

渡邊さんも全力疾走ですが、作家さんも全力疾走ですね。その後の企画は? 

3月8日から2階で開催するMarche de APA 展も他ではない企画。アートのスーパーマーケットというか、買物かごに商品を入れるイメージです。作品もきれいに並んでなくて山に積まれた中から探す感じです。作家にもスーパーに並んでいるようなものでお願いしています。北村尚子さんは卵をつくるそうですし、鈴木広行さんは趣味で動物の形に彫った切り株を出してくださるようで、洋服についているようなタグを付けたいと。スーパーで生産者の名前とコメントが写真付きで紹介されているようなキャプションも用意したいです。できれば作家さんのコメントを録音して店内放送のように流したい。震災の時から考えていたことがようやく実現しますが、最後なのでハメを外して楽しみたいです。

その後は2729日で壁のクロスに作家に直接絵を描いてもらい、それを3031日に切り売りをします。公開制作で誰かが描いたところに、ほかの作家が描いたりしておもしろい作品になりそうです。 

最終日までぎっしり盛りだくさんですね 

静かにわからないように閉めるギャラリーも多いですが、私は最後はみんなで「お疲れさま」と盛り上がりたいです。すーっとしぼんでしまうと、ここでやってきた作家のモチベーションも下がってしまうので、気持ちを切り替えて頑張ってもらうためにも最後まで力を出し切りたいです。閉廊について言うのが早すぎるのではと言う方もいましたが、それは私の中では思い出をどうつくるかとか、APAの最後に向けての展開を考えるのに必要な時間だったんです。

Marche de APA展についても規約を送り忘れてしまい、ある方から「売れたら全部APAに寄付なの?」聞かれました。もちろんそんなことはありませんが、だから返事が来ない人もいるんだと。その時は規約をあらためて送りますと答えましたが、そんなことを気にせずに参加の意思を示してくれた方の気持ちを大切にしたいし、その人たちと一緒にやる方が気持ちいいなと。 

Marche de APA展で初めて作品を買う人もいるでしょうし、その人にとってはその経験がいろいろなところで作品を見たり買ったりということにつながると思います。最後にパァッとはじけて、種をたくさん蒔く感じですね。では最後に、これまでやってきて名古屋のアートシーンについて思うことはありますか? 

NAGOYA ART MAP制作をとおして、いろいろなギャラリストと交流できましたが、名古屋はギャラリーの仲がいいと思います。東京の人に話すと「商売敵なのにすごいね」と言われます。HAMの伊藤さんやacsの佐藤さんなど、いろいろ教えてくださる先輩が多く、そういう方たちと関われて恵まれていたと思います。


■APA集大成!卒業個展
                  Main Room(1F) Fine Room(1F) F2(2F)
12月18日(火)~23日(日) 伊藤里佳      藤原史江     松岡徹+仲間たち
1月8日(火)~13日(日)    小野養豚ん       藤掛幸智     加藤K     
1月15日(火)~20日(日)    水野誠司・初美   栁本美帆     寄川桂
1月22日(火)~27日(日)  横井彰        横田千明              幸勝也・渡邉貴子
1月29日(火)~2月3日(日)  加藤雅也              大村優佳              小澤輝余子
2月5日(火)~10日(日)        久保田毅楽          カオリとマリコ       石神則子
2月12日(火)~17日(日)      島嵜りか               加藤真也              梶千春
2月19日(火)~24日(日)      吉野もも               天野芙美               福永照久
2月26日(火)~3月3日(日)  松尾栄太郎          鈴木かおり           前田真喜子

Marche de APA
2013年3月8日(金)~24日(日)
 
GALLERY APA
名古屋市瑞穂区汐路町1-15
 

2012年9月15日土曜日

アーティスト・荒木由香里

アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、愛知県美術館での個展「APMoA Project ARCH 何ものでもある何でもないもの」を終えたばかりの荒木由香里さんにお話を伺いました。


アートとの出会いについておしえてください。

《星を想う場所》 2011年
小さいころから美術館や博物館にはよく連れて行ってもらっていて、見るのは好きでした。書道も習っていて、中学生のころまでは書道で生きていこうと思っていたほど。天邪鬼だったのでおもちゃが欲しくても欲しいと言えず、段ボールや紙、海で拾った石や流木を使って、自分でつくって遊んでいました。書道は手本どおりに書くのが次第に楽しくなくなってきて、並行してやっていた物をつくるのは楽しくて、そのまま来たという感じです。

その流れで自然に美大に進学されたのですか?

美大に行くと当然のように思っていました。母方の親戚は木箱をつくるお店をしていて、父方には絵を描いている人や陶芸をやっている人がいて、ものづくりや美術が身近にあったからだと思います。それからNHK教育テレビの影響も。「できるかな」など子ども向けの工作の番組をよく見ていました。人形の男の子が魔法のメガネをかけると物と会話ができるようになり、そこから社会の仕組みを理解していくという「それいけノンタック」も大好きでした。現在の、物も生き物も対等という考え方やものの捉え方に影響を受けていると思います。

彫刻科に進んだのはなぜですか?

絵を描きたいと思ったことがなく、つくりたいものはいつも立体で浮かんでくるんです。書道をやっている時も、一角一角が重なって形になっていくのを立体のように捉えていました。彫刻科に進んだのは自然な選択だったと思います。

当初から既製品を使った作品を発表されていますが、既製品に興味を持ったきっかけは?

大学2年生の夏休みに既製品を使った作品を制作するというレディメイドの宿題が出たんです。それまでは光とか建物の空間を利用した作品を作っていましたが、雑貨が好きだし、物を集める癖もあるので、好きな素材を扱えるのがとても楽しくて。その時はシャンプーハットを大量に買ってきて全身に装着する立体作品をつくりました。それは納得のいくものではなかったのですが、そこで味をしめたというか。課題は半期に1点くらいのペースだったので、既製品を使った作品を自分で勝手にどんどん制作しました。

荒木さんが大学3年生の時の学内での展示を見たことがあります。その時は課題だと思われますが、空間にテグスを張った作品を発表されていましたね。

ソフトスカルプチャーというテーマで制作した課題の発表でしたが、テグスを張っていた時、それがとても美しく見える瞬間があり、初めて自分の作品に感動したことを覚えています。想定を超えるものが目の前に現れた驚きというのでしょうか。
制作する時は、最初に完成時のシルエットが頭の中に360度で浮かんできます。この時には細部まで決めず、制作しながら色やバランス、ボリュームを考えつつ、付けたり取ったりしていきます。絵を描いていく感じに似ているかもしれません。また同時に粘土で取ったり付けたりするようにもつくります。そうすることで、最初の完成イメージを超えられるような作品をつくれたらと思っています。

初期の代表作《完璧なペア》は、どういうところから着想されたのですか?

《完璧なペア》 2007年
大学を卒業後、作家としてやっていくうえで核となるテーマが欲しいと考えていた時に、祖母が亡くなり、ロンドンでテロが起こりました。その時、私もいつ死ぬかわからないけど今の作品じゃ死ねない、よりよく生きていくために制作がしたいと思いました。なにができるか模索していた時、棺桶に納められた祖母への違和感を思い出しました。化粧されて花に囲まれてきれいだけど、祖母だったのに祖母じゃない。もう人じゃない。物が物でなくなる瞬間、靴が履かれなくなった時、それは靴なのかと。人とのつながりも見せたいと、知人の夫婦から履かなくなった靴をもらい片方ずつリボンでつないで、物の記憶や汚れがサンゴみたいに増殖するイメージでビーズを付けました。靴はもともと好きでしたが、持ち主の好みや歩き癖も出るし、その人の人生と重なる部分があるところから選びました。
でも最初はビーズじゃなくてアラザン(製菓用の砂糖)だったんです。きれいだけど儚い。いつなくなるかわからないというところを表現したくて。でもそれでは保存できないのでビーズに変えました。ビーズは宝石に似せてつくられたものだけれど、アラザン同様に儚さがある。宝石を超えるような扱い方ができたらいいなと。

球体シリーズをつくられたきっかけは?

《Yellow》 2012年
それまでは個展のテーマはありませんでしたが、一つのテーマで空間全体を構成してみようと思い、「サーカス」というテーマで個展をしました。ほかの作品はサーカスという言葉やイメージを分解してつくっていきましたが、楽しい雰囲気やいろんな要素を凝縮した作品があってもいいなと思い制作したのが球体シリーズの最初の一点です。

それまでは既製品といっても、記憶を宿す物や忘れ去られた玩具など古い物を使っていましたが、球体シリーズからは古い物にこだわらず新しい物も使われていますね。

古い物がよくて新しい物が魅力に欠けるという考え方に問題があるなと思い、どちらも対等に混在させていこうと。今は色、素材、形などものの捉え方がテーマ。見慣れたものも角度によって違って見えたり、柔らかそうに見えてもそうじゃなかったり。愛知県美術館での展示では、ノートに書かれた感想がみんな違っているのがおもしろいです。実験というか作品そのものが着地点ではなく、作品をとおしてものの見え方を考えるのが着地点。それが楽しいので、このシリーズはもう少し続けていくつもりです。

これから挑戦したいことはありますか?

球体シリーズを現在のような球体ではなく、空間の中にある目には見えない形を引き出してつくったり、言葉でパーツを集めたシリーズ、たとえば「女」なら女性をイメージさせる物を集めた作品を制作してみたいです。既製品を使っている点で、私の作品は誰にでもできるかもしれません。でも世の中に無数にある既製品の中から私がおもしろいと思う形、きれいと思う物を集めているので、ほかの人にはできないと思うし、まねのできない作品を目指したいです。

東海エリアのアートシーンについてどう思いますか?

関西でも展示する機会がありますが、東海はアートスポットのある場所が固まっているので、アーティストやアート関係者が仲がよくていいと思います。オルタナティブスペースやギャラリーも増えてきているので、ますますおもしろくなるのではないかと思います。


荒木由香里プロフィール
http://yukariaraki.com

1983 三重県生まれ
2005 名古屋芸術大学美術学部造形科卒業
2006 同研究生修了

個展
2007 荒木由香里 展(AIN SOPH DISPATCH/名古屋)
    荒木由香里 展(伊勢現代美術館/三重)
2008  Tiny tiny garden(足助病院/愛知)
    荒木由香里 展(AIN SOPH DISPATCH/名古屋)
    海ヨリキタリテ(弁天サロン/愛知)
2009 waltz(studio J/大阪)
2010 circus(AIN SOPH DISPATCH/名古屋)
2011 Constellation (studio J/大阪)
    あいちトリエンナーレ地域展開事業
    あいちアートプログラム 荒木由香里展 星を想う場所 (佐久島/愛知)
    Epistemology (AIN SOPH DISPATCH/名古屋)
2012 APMoA Project ARCH 何ものでもある何でもないもの(愛知県美術館/名古屋)

グループ展
2003 月の茶会(佐久島/愛知)
     の素(Art&Design Center/愛知)
     まちなかアート(西春町各所/愛知)
2004 G−U(Art&Design Center/愛知)
2005 ちょっとよりみち(T.A.G. IZUTO/名古屋)
     dine.ex(Art&Design Center/愛知)
2006 ホームメイド(プラスギャラリー/愛知)
     今年もちょっとよりみち(T.A.G. IZUTO/名古屋)
2007 十三粒のヘソのゴマ展(東山荘/名古屋)
     今年もちょっとよりみち(T.A.G. IZUTO/名古屋)
2008  今年もちょっとよりみち(T.A.G. IZUTO/名古屋)
    ASYAAF(asia student & young artist art fair)(ソウル旧駅舎/韓国)
2009 眼差しと好奇心 vol.5(Soka Art Center 台北/台湾)
    アーツチャレンジ2009 新進アーティストの 発見in愛知(愛知芸術文化センタ/名古屋 )
    越後妻有アートトリエンナーレ(十日町病院/新潟)
    ART OSAKA 2009 (堂島ホテル/大阪)
    VANTAN TOKYO (GALERIE EOF/15Rue Saint Fiacre 75002/パリ、フランス)     
    エマージング•ディレクターズ•アートフェア「ULTRA002」(スパイラル/東京)
    ヨッチャンの部屋vol.4 アトリエの音楽展(大阪造形センター/大阪) 
2010 あいちアートの森 佐久島プロジェクト「雛の祭り」(弁天サロン/愛知)
MOOK (AIN SOPH DISPATCH/名古屋)
     群馬青年ビエンナーレ 2010 (群馬県立近代 美術館/群馬)
     NAVIGATION 庄司達退官記念展 (文化のみち 橦木館/名古屋)
     エマージング•ディレクターズ•アート フェア「ULTRA003」(スパイラル/東京)
2011  アートフェア京都 (ホテルモントレ京都/京都)
    ART OSAKA 2011 (ホテルグランヴィア大阪/大阪)
    ART NAGOYA 2011 (ウェスティンナゴヤキャッスル/名古屋)
    ヨッちゃんビエンナーレ2011 (de sign de> / 大阪)
2012  ART KYOTO 2011 (ホテルモントレ京都/京都)
    大イタリア展 Viva italia! (心斎橋スタンダードブックストア、studio J/大阪)
    View (アートラボあいち/名古屋)
    アートをおうちに持ち帰る。新しくて、楽しくて、温かい毎日が始まる。」展(銀座三越/東京)
    ART NAGOYA 2012 (ウェスティンナゴヤキャッスル/名古屋)


ワークショップ
2007  ゴミで植物をつくろう。(伊勢現代美術館/ 三重)
2008  サクシマのイキモノをつくろう。(弁天サロン/愛知)
2009  風景画を描こう。(やさしい家/新潟)
2011  星をつくろう。(弁天サロン/愛知)

パブリックコレクション
2012 佐久島



■展覧会スケジュール
EXTRA NUMBER
会期:9月8日(土)~22日(土)
会場:AIN SOPH DISPATCH
http://ainsophdispatch.org

+プリュス:ジ・アートフェア 003
会期:11月2日 (金) ~4 日(日)
会場:スパイラルホール(スパイラル3F)
http://systemultra.com/

「小早川コレクション 麗しのマイセン人形」展 
会期中にワークショップを開催、終了後に作品を展示します。
会期:11月23日(祝)~5月6日(祝)
会場:岐阜県現代陶芸美術館
http://www.cpm-gifu.jp/museum/01.top/index1.html

個展
会期:12月8日(土)~22日(土)
会場:AIN SOPH DISPATCH
http://ainsophdispatch.org