「であ、しゅとぅるむ」展示風景 |
東京にいたとき、修士課程修了まで芸術学を専攻していましたが、芸術理論には関心があっても、当時は美術の作品や現場に対する関心はほとんどありませんでした。大学の授業で学んだ古代ギリシアの墓石や北方ルネサンスの絵画を面白いなと思うことはあっても、現代アートに関しては正直よくわからなかったですね。美大だったので比較的恵まれた環境にいたと思うのに自分がまだそれらを受容できる状態になくて、もったいなかったです。
現代アートと関わるようになったのは愛知県立芸術大学(以下、愛知芸大)の博士後期課程に入ってからです。愛知芸大の博士後期課程では、油画、日本画、彫刻、デザインなどの実技系の学生と、理論系である芸術学の学生が博士棟という同じ建物の中で学んでいて、講評なども一緒に行われていました。この未分化な状況はなかなか混乱もしましたが、それこそ強制的にアートと出会う良い機会となりました。博士後期課程の学生には油画の坂本夏子さん、彫刻の占部史人さん等がいました。彼らとは実際にはたまに話す程度の交流でしたが、僕にとってはアートとの貴重な出会いだったと思います。
芸術学に興味を持ったきっかけはなんですか?
芸術学は、実技を専門とするのではなく、美術史や美学といった芸術理論を中心に学ぶ専攻ですが、僕自身はそれほどたいした動機もなく芸術学を選びました。むしろ大学に入って専門的に勉強を進めるうちに、徐々に興味が深まっていったかんじです。
愛知芸大の芸術学専攻は、西洋美術史や美学とはまた別に現代アートコースが設けられているので、現代アートを専門に学ぶにはとても良い環境でした。ロザリンド・クラウス著『オリジナリティと反復』の翻訳で知られる小西信之先生が現代アートコースを受け持っています。授業でジェームス・マイヤーの「Minimalism: Art and Polemics in the Sixties」を読んだり、また小西先生がライフワークにしているロバート・スミッソンについての話を聞くのが楽しかったですね。僕自身はクレメント・グリーンバーグについての研究をしていますが、卒業生では例えば塩津青夏さん(愛知県美術館)がバーネット・ニューマン、河田亜也子さん(兵庫県立美術館)がハラルド・ゼーマン、三輪祐衣子さん(名古屋ボストン美術館)がウィリアム・ケントリッジの研究をするなど、近現代の美術を勉強している方々がたくさんいたことは良い刺激となりました。
批評ベースで活動を展開されたのはなぜですか?
愛知芸大における僕の指導教官はイタリア・ルネサンスの専門家である森田義之先生ですが、森田先生が「現代アートを研究するなら、もっと知り合いを増やしたり、現場と関わったほうがいい」と、愛知を拠点とする美術批評誌「REAR」に参加することを勧めてくれたんです。「REAR」のことは大学受験時に予備校でお世話になった美術批評家の山本さつきさんが編集に携わっていたこともあって創刊当初からその存在を知っていました。そして、森田先生に「REAR」メンバーで愛知芸大の学生だった堀尾美紀さん(現在、多治見市美濃焼ミュージアム学芸員)を紹介していただいたことをきっかけに、「REAR」の編集メンバーに入れてもらったんです。もともと美術批評の研究をしていたので、その知識や関心を多少なりとも実践的に生かせる美術批評誌という活動の場に参加できたことはとても幸運でした。
「REAR」は中部圏、特に東海地方の展覧会評をたくさん掲載するところに大きな特徴があります。美術家、学芸員、画廊、コレクター、アートファン、大学教員など、地域の美術に関わる人々を間接的につなぐことが、こうしたメディアの果たす重要な役割ですね。おかげさまで僕も「REAR」を通して愛知県の知り合いが増えました(笑) また、「REAR」に関わる個人的な動機を言うと、美術批評というジャンルに限定すれば、インディペンデントによって地域で活動していてもその業界における主要なメディアとなり得るから、というのもありますね。例えば、現代アートの大手メディアである「美術手帖」は、現代アートの総合誌として美術批評だけではなくさまざまな役割を担わなければならないだろうから、そこまでたくさんの展覧会評を載せることは難しいと思いますし、独立系雑誌だからやれることもあると思います。
「REAR」や「Review House」の編集にかかわっていらっしゃいますが批評の動向についてどのように感じますか?
最近では「世界美術史」という言葉をよく聞くようになりましたが、「具体」展(グッゲンハイム美術館、2013年)や「もの派」展(ブラム&ポー、2012年)、「東京 1955-1970」展(ニューヨーク近代美術館、2012年)など、近年は戦後日本美術に対する関心が海外で高まっています。「ARTFORUM」(2013年2月号)でも戦後の日本美術を扱った特集が組まれました。それは批評がよりアカデミックになってきている状況とも無縁ではないと思います。
21世紀に入って10年以上が経過した現在、20世紀美術がいよいよ歴史研究の対象になってきたなというかんじがあります。ロザリンド・クラウスやイヴ=アラン・ボワ等が「Art since 1900」という20世紀美術および美術批評の集大成とも言うべき記念碑的な著作を出しました(日本語訳はまだありませんが、現代アートのNPO団体AITがこの本の内容を紹介する「FREE MAD」という無料レクチャーシリーズを公開しています)。著者たちはアメリカで最も有名な美術批評家ですが、この本は20世紀美術や彼らの批評をとにかくアーカイブ的にまとめたという印象があります。批評家が執筆しているので、確かにイデオロギー的に中立な歴史書とは言えないかもしれませんが、彼らの仕事のなかでは異例にも教科書的な記述で書かれています。そして、彼らよりも後続の世代の仕事としては、美術をめぐる状況に対して問題提起をしたり、美術批評の更新を目指すような批評的な仕事よりも、こうした歴史のアーカイブからなおも抜け落ちた対象を補完していくような研究のほうが目立ってきているように思います。
日本でも同様の傾向が見受けられて、椹木野衣さんが90年代に『日本・現代・美術』(新潮社、1998年)で、戦後日本美術を通史で記述することの不可能性という、極めて批評的な語り口で歴史記述を行っていました。しかし、2000年以降はむしろ20世紀美術の当時の状況を整理したり、抜け落ちた情報を補完していくようなアーカイブ的な仕事が増えてきているように思います。例えば、中ザワヒデキさんによるバイリンガルの20世紀美術史『現代美術史日本篇』(アロアロインターナショナル、2008年)や、エイドリアン・ファベルによる社会学的アプローチから書かれた「Before and After
Superflat: A short History of Japanese Contemporary Art 1990-2011」もそうですし、『宮川淳 絵画とその影』(みすず書房、2007年)、『中原佑介美術批評選集(全12巻)』(現代企画室+BankART出版、2011年〜)のように戦後第一世代の美術批評が再び読めるようになったことも例として挙げられると思います。あと、加治屋健司さんが代表を務める「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」は、口述史料という歴史の情報を補完する精力的な活動を行なっています。
こうした動向を考慮すれば、「REAR」も同時代の美術に対する批評を行うとともに、地域の美術の情報を蓄積しているので、それらの情報によりアクセスしやすい雑誌になればと思います。ちなみに29号からは、全国の書店およびインターネット書店でも入手可能になります。ゆくゆくは目次だけでもバイリンガルにすると良いかもしれませんね。
石崎尚さんとのユニット「FILE-N」をとおして筒井さんがやろうとしていることは何ですか?
現在、東海地方には、関東・関西・地元とそれぞれ出自の異なる20代、30代の優秀な学芸員の方々がたくさんいます。その中の1人が石崎さんですね。もともと知り合いで、石崎さんが名古屋へ来ることがあれば「名古屋CAMPをやろう」と約束していたんです。そうしたら、石崎さんが本当に名古屋に来ることになったので、はからず実現しました。ちなみに「FILE-N」のモデルとなったのは、東京を中心に頻繁にアートイベントを主催している団体「CAMP」です。「CAMP」はデザイナーの井上文雄さんを中心に運営されていて、もともと2005年の「MUSEUM OF TRAVEL」という展覧会企画が起点となって発足した団体です。トークイベントが基本ですが、とにかくイベントの頻度と人選の幅広さがすごいんです。東京はアートシーンが大きい分、コミュニティがそれぞれに形成されてしまって棲み分けが起こりやすいんですが、「CAMP」がそれらの異なるコミュニティ間を結びつけるような働きをしていて、現在のアートシーンの活性化に大いに貢献しているように感じます。
名古屋のアートシーンは、東京とは異なって棲み分けはあまりないんですが、閉鎖的になりやすい傾向があるように思います。閉鎖的なことは、独特の時間感覚を生み出したりするので、必ずしも悪いことだとは思いませんが、一方で僕自身が名古屋に住んでいてマンネリに感じることがあるので、ときどき小さな「祭り」があればと思うところはありました。そこで「FILE-N」では、ささやかでも人々が直接集まる形式で、できるかぎり東海地方の外の文脈を紹介するようなアートイベントを企画できればと考えています。また、名古屋では現在、「N-MARK」、「Arts Audience Tables ロプロプ」、「EAT and」など、さまざまな団体によるアートイベントがあります。「FILE-N」もそのような市民活動の1つとして名古屋のアートシーンを盛り上げることに貢献できればと考えています。
「であ、しゅとぅるむ」展の企画をされましたが、あらためて学んだ点や苦労した点はありましたか?
「であ、しゅとぅるむ」(dersturm.net)は、11組の作家がチームを組んだりしながら「バックグラウンド」をテーマに展示するという展覧会でした。参加作家は、伊藤存さん、小林耕平さん、泉太郎さん、梅津庸一さん、大野智史さん、千葉正也さん、福永大介さん、キュウ・タケキ・マエダさんといった美術家の方々、また、二艘木洋行とお絵かき掲示板展、山本悠とZINE OFF、qpとべつの星といったネットの絵師やイラストレーターのチーム、坂本夏子さんと鋤柄ふくみさん、池田健太郎さん、辻恵さん、文谷有佳里さん、もぐこんさんといった愛知チームなどです。
作品そのものを単体として良く見せるというよりも、別の作家と干渉し合いながらの展示であったため、作家にとっても鑑賞者にとってもやや戸惑うものとなったかもしれません。企画者の僕からしても11組の作家それぞれにキュレーションをお願いしたようなものなので、全体の展示プランをある程度まで用意していても実際にどのような展示になるのかは展覧会がはじまってみるまでわからないところがありました。しかし、もし「であ、しゅとぅるむ」に見所があるとしたら、そのような視覚的にも文脈的にも異物混入的な部分だったり、オープンエンドな形式だったりするのではないかと思います。例えば、KOURYOUさんの作品(kurisupi.com)や、「であ、しゅとぅるむ」用のお絵かき掲示板は、展示会場からだけではなく、インターネットからも自由にアクセス可能です。実際に、お絵かき掲示板には参加作家だけではなく、インターネットの絵師たちによる絵の投稿がありました。また、模造紙の通路も、参加作家や来場者が自由に絵を描き足したりして、ある種のコミュニケーションの場として機能しました。他にも、参加作家同士が、ZINEを作ってお互いに交換したり、コラボレーション作品を作って展示したりするなど、通常ではあまり見られない様々な試みが起きたことは、企画者として想定外のうれしい出来事でした。
多くの方々のご協力によって、なんとか開催できた展覧会ですが、特に山下ビルの山下幸司さんにはとてもよく応援していただきました。山下さんがチラシを渡してくれたおかげで、「ゼロ次元」の岩田信市さんが展示を見に来てくれるなど、思いがけない広がりが生まれる契機を作ってくれました。
名古屋のアートシーンについて感じることを教えてください
岩田信市さんが荒川修作や赤瀬川原平と旭丘高校美術科の同級生だったり、奈良美智さん、杉戸洋さん、小林孝亘さん、長谷川繁さんが同じ愛知県立芸術大学ラグビー部だったり、OGRE YOU ASSHOLEやシラオカといったバンドが愛知県立芸術大学の彫刻科や油画科の同期だったり、名古屋のアートシーンはとても小さなコミュニティから面白い方々が登場する傾向があるように感じます。「であ、しゅとぅるむ」展にも来てくれた、たんぱく質さんとか、やすだゆうかさんとか、その界隈の若い世代のアーティストのことが気になっています。
筒井宏樹 プロフィール
名古屋市生まれ。フリーランスの編集者。美術批評研究。東京芸術大学芸術学科卒業。現在、愛知県立芸術大学大学院博士後期課程在籍中。「Review House」編集員。「REAR」編集メンバー。携わった展覧会=「イコノフォビア
図像の魅惑と恐怖」(愛知県美術館ギャラリーおよびflorist_gallery N、2011年、コンセプトメイキング)、「Pandemonium」(XYZ collective、2012年、カタログ編集)、「であ、しゅとぅるむ」(名古屋市民ギャラリー矢田、2013年、企画)など。