アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、アーティストの伊藤正人さんにお話を うかがいました。
壁や原稿用紙に万年筆でテキストを書いていらっしゃいますがテキストの作品を制作し始めたきっかけは何ですか?
学生のころからだれにも見せない個人的な文章を日常的に書いていて、もしかしたらそれが作品になるのではという思いはずっと抱いていました。
転機となったのは大学4年生のときのドイツ留学でした。実はドイツで美術をやらずに小説を書いていたのですが、ちょうど卒業制作も同時期だったのでその小説を出したいと教授に申し出たら「視覚芸術でないと作品として認められない」と言われました。その一言でずいぶんと落ち込みましたが、教授に対する反骨精神のようなものもあって「文章だってまず目という視覚機能で文字というかたちを認識して、それからはじめて文字を文章として読めるわけだから、そこに視覚的な要素も充分あるはずだ」と考えて、「a piece of voice」(http://royalbluemountain.blogspot.com/2005/01/piece-of-voice-200501.html)という作品をつくりました。
この作品は美術のための小説作品であり、小説のための美術作品でもあると思っています。(ここではあえて「文学」という言葉を使いますが)美術側から文学へとアプローチする、あるいは文学側から美術へアプローチするという思考の流れ方のようなものもその頃からいまに至るまで常にどこかで意識しています。
テキストの青色にはどんなこだわりがあるのですか?
遠くにある山が青く見えるのは、理由のひとつとしては空気の層が重なっているからなのですが、たまたま知人から頂いた万年筆のインクの色がロイヤルブルーで、万年筆というのは買うと最初に入っている色がかならずロイヤルブルーなのだそうです(かつてヨーロッパで公式の文書にサインするときはこの色を使っていたそうです)。
たまたま、遠くの青と手元の青が符合していたのだと気付いたときに、文章の作品のイメージがぼんやりと浮かび上がりました。青というのは景色までの距離を測るために必要不可欠な色だと思っています。
テキストの言葉はふだんから書きためていらっしゃるのですか?
個人的に毎日書きとめている短い日記と、一ヶ月のあいだに2,3回書いている長い日記のようなものがありますが、作品のための文章をふだんから書きためるということはあまりしません(ブログに書いている文章は作品未然の文章として書いています。ツイッターは今のところ備忘録的存在です)。
書きたいことはずっと頭のなかに浮かんでいるのですが、それが文章になるには長い時間がかかります。そのあいだ、ずっと景色を見て考えています。書きたいことと景色がつながったとき、ようやく作品としての文章を書くことができます。
以前はおもに壁に書いていらっしゃいましたが昨年くらいから原稿用紙を使われるようになったのはなぜですか?
作品として、僕の書いた文章がひとの手に渡っていくことをずっと考えていました。壁をまるごと渡すわけにはいかないので、どういうかたちであったらシンプルに手渡すことができるだろうかと。文章というと本や手紙といった媒体が浮かびますが、それではあまりに形式的過ぎる気がしていまもまだ納得できておらず、壁に書きはじめてから3年ほど経ったころに原稿用紙というものに出会えたとき、とてもしっくりくる距離感がありました。
文学館へ行くとよくショーケースに作家の生原稿が展示してあって、それもヒントになっています。壁に書いたものは渡せないのですが、その生原稿として原稿用紙の作品を渡すことは可能だと思ったわけです。
「Royal Blue Mountain」シリーズではテキストで山並みの景色を立ち上げていらっしゃいますが「Royal Blue Mountain」シリーズで伊藤さんが表現したいことは何ですか?
一言で言えば「景色」です。とても抽象的な言い方になってしまいますが、言葉で景色を越えたいと思っています。
たとえば部屋にこもって文章を書いているとき、小説を読んでいるとき、ふと息抜きがてらにそとへ出ると、目のまえの景色が躍動して見えることがあります。大袈裟ですが「世界が生きている」とさえ思います。そんな世界を相手に文章で戦おうとしているだなんて、とてもじゃないですが勝ち目はないと思ってしまいます。勝ち負けの問題ではないのですが、もし言葉の限界を超えて、さらに眼前の景色を越えることが可能だとするならば、そこにはおそらく美術の力が必要なのだと思っています。
最近、山並みから森や植物にテーマが広がっているのはなぜですか?
景色に対する自分の位置取りの変化、言葉に対する距離の置き方の変化だと思います。
「Royal Blue Mountain」という作品ではたとえば自宅のベランダから見える山の断片がひとつの指針となっていますが、最近はその山のほうへ近づいていく道もみつけたということです。足下で何気なく微風にゆれている植物の葉先をぼんやり見ていた自分自身に気付いたとき、そのぼんやりとした距離感が言葉そのものに対して僕が定めている距離感ととてもよく似ていると思ったのです。
今年はグループ展、個展が目白押しですがどんな展開を考えていらっしゃいますか?
12月にアインソフディスパッチで個展があるので、そこでは今年ずっと考えている植物のことをとおして改めて青い山についての作品を発表しようと思っています。インクの青色と山の青色が符合していたと気付いたときのように、言葉の質量と景色の質量のようなものがひとつのある概念によって符合していたとついさいきん知ったのです。そのことについてうまく作品にできたらなと思います。
自分の身体が移動し続ける限り景色に終わりがないように、ひとつひとつの作品が連綿と続いていくように作っていこうと思っています。
東海のアートシーンについて感じていることがあれば教えてください。
東海、主に名古屋ということになりますが、なんだか名古屋はしずかな船着き場のように思えます。他の土地からそこにやってくることもできれば出ていくこともできるし、つながりもいろいろあるわけですが、流れはあるはずなのに出入りする際の音がしずかで澱んでいるように思えるのです。自ら音を出すことも、他者から音を出されることもあまり好ましく思っていないような。あるいは音の出し方を知らないだけなのかもしれません。
僕自身はといえば、いま自分にとってどんな船が望ましいのか、船の種類を見定めているところです。
伊藤正人
1983 愛知県豊田市生まれ
2004-05 Bauhaus Universität Weimar(ドイツ, ワイマール)短期留学
2005 名古屋造形芸術大学 総合造形コース卒業
2006-08 オルタナティヴスペース「galleryアートフェチ」(名古屋)に所属
現在、名古屋在住
|主な展覧会|
2010
「ボクラノミカタ」ガレリアフィナルテ(名古屋)
「MOOK」AIN SOPH DISPATCH(名古屋)
「Collection/Selection 02」GALLERY CAPTION(岐阜)
2009
「cutlog 2009」Bourse de Commerce de Paris(フランス, パリ)
「常滑フィールド・トリップ2009」とこなめ中央商店街(愛知県常滑市)
「Landscape」GALLERY CAPTION(岐阜)
2008
「常滑フィールド・トリップ2008」とこなめ中央商店街(愛知県常滑市)
個展「Royal Blue Mountain -sight hearing-」galleryアートフェチ(名古屋)
2007
「鏡 -微睡みと反射-」ギャラリーフロール(京都精華大学)
「秋の芸術フェチフェアー」galleryアートフェチ(名古屋)
「Since 2004」galleryアートフェチ(名古屋)
2006
個展「Royal Blue Mountain」galleryアートフェチ(名古屋)
展覧会スケジュール
■ EXTRA NUMBER 2010
会期|2010年7月24日(土)−8月7日(土)
時間|13:00−21:00 ※木曜休
会場|AIN SOPH DISPATCH(名古屋市西区那古野2-16-10円頓寺本町商店街JAMJAM奥入ル)
■ 蟬の会
会期|2010年8月1日(日)−8月7日(土)
時間|10:00−17:00 ※月曜休
会場|文化のみち橦木館(名古屋市東区橦木町2丁目18番地)
入館料|200円
■ ミニアチュール展
会期|2010年8月21日(土)−9月26日(日)
時間|12:00−18:00 ※火・水曜休
会場|ギャラリー芽楽(名古屋市名東区梅森坂1−903)
■ 浮森 -floating forest-
会期|2010年9月11日(土)−10月3日(日)
時間|13:00−19:00 ※火・水曜休
会場|Standing Pine cube(名古屋市中区錦2丁目5−24えびすビルPart2 3F)
■ 個展
会期|2010年12月11日(土)−25日(土)
時間|13:00−21:00 ※木曜休
会場|AIN SOPH DISPATCH(名古屋市西区那古野2-16-10円頓寺本町商店街JAMJAM奥入ル)
写真/《flora》
原稿用紙に万年筆、2010年