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2010年12月16日木曜日

ファン・デ・ナゴヤ美術展「黒へ/黒から」 企画者 片山浩


アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、2010年1月に開催のファン・デ・ナゴヤ美術展2011「黒へ/黒から」を企画されたアーティストの片山浩さんにお話をうかがいました。

ファン・デ・ナゴヤ美術展に企画を応募されたのはなぜですか?

「黒い作品」を集めたら、どんな展覧会になるんだろう?という興味は以前から頭の片隅にあったのですが、一見地味とも思える展覧会なので、ギャラリーなどに持ち込んでも関心は持たれにくいのではないかな、とも思っていました。そんな時に目に留まったファン・デ・ナゴヤ美術展の企画募集のチラシを読んでみると、今回から1室からでも企画応募が出来るとありました。もしかしたら小さくても密度のある展覧会が出来るのでは…と思い、応募しました。

展示の概要を教えてください

「黒」と「銅版画」をキーとして10人の作家が出品します。銅版画を経た彼らが持つ「黒」に対するこだわりや美意識には独特のものがあると思います。ただ、彼らすべてが現在、銅版画で制作しているわけではありませんので、リトグラフや写真など他の表現による作品も出品されます。表現方法が銅版画から変わっても「黒」に対する意識は彼らの中にとどまり制作の芯になっているように思います。そういった彼らがもつ「黒」への特別な意識をあらわにしたいと思います。

黒にこだわった版画作品に着目されたのは、片山さんのどんな問題意識からでしょうか?

実は「黒い作品」に興味を持ち始めたのは最近のことなのです。そのきっかけは、2008年にドイツのハノーファーでドローイングのワークショップに参加した時に、画材店で手に入れたグラファイトやチャコール、インクの黒の色の幅が新鮮で、それらを使って黒いドローイングを多く描いたことがあります。ワークショップから帰って来て、リトグラフの工房の隣にある銅版画の工房をあらためて見てみたら、「黒い」作品がそこで制作されている…。しかも幾人かの学生や作家の「黒」へのこだわりは尋常ではないように思えました。銅版画は版画の中でも版の表情やプロセス、技法の多様さなど要素が多い版種なので、イメージ性の他にもそのプロセスや版のあり方に関心を寄せる作家も多いのですが、私が彼らの作品の中から最も惹かれたのは色彩としての「黒」のあり方でした。
大学などで銅版画を学ぶ際は、当たり前のように黒いインクで刷ります。ほとんどの学生はその後、何の疑問も感じず、その黒インクを使い続けるのかもしれません。長い制作活動の中で、初めての銅版画制作で触れた色である「黒」を使い続ける彼らの「黒との関係」とはどんなものだろう?これから彼らはどんな距離感を保ちながら「黒へと向かうのか?」あるいは「黒から離れるのか?」という疑問がこの展覧会のアイディアの発端です。

現在、名古屋芸大でリトグラフを教えているので、先程のリトグラフの工房とは名古屋芸大の版画コースのことなのですが、同じ大学でも版種が違うとすぐ隣の工房なのにまるで雰囲気が違います。リトグラフで制作している私にとって、どんな色で作品を組み立てていこう、と考える過程は制作の上でとても重要なのですが、隣の部屋ではイメージやプロセスが違う作家達が、「黒」で刷っている。学生の講評会に出た時には「なぜ彼らは皆、黒で刷るんだろう?」という強烈な疑問が湧くことすらあります。ただ、興味深く彼らの制作を眺めていると、銅版画のプロセスの中で版の表面の表情を微妙に変えながら、「黒」という色彩を豊かに立ち上がらせようとしているように見えました。つまり数ある色彩の中の「黒」ではなく黒の中の「黒」を見つめているように思えたのです。この銅版画でどっぷりと作品制作を経験した作家の「黒」への感覚の独特さに気づいたことが、銅版画を経た作家よって展覧会を構成しようと思った理由です。

10名の参加作家はどのように選ばれたのですか?

始めから「銅版画を経験した作家から」という決め事をしていた訳ではありません。興味深い「黒い作品」をあげていくうちに銅版画による作品が多かったことと、私の銅版画に対する認識の変化から、「銅版画を経験した作家」を探すことにしました。

もともと1室で小さく密度のある展覧会を目指したので、作品の大きさよりも作品の持つ密度と色彩としての「黒」の質が違う作家を探しました。もう一つは「知られていない作家」を見たいということがありました。大学で版画に関わっているといくつもの版画のグループ展を見る機会が多いのですが、作品の大型化、版の概念の拡大といった問題を扱う「版画展」にはあまり関わってこない作家を探しました。企画に応募をする段階では、阿部大介さん、尾野訓大さん、川田英二さん、川村友紀さん、山口恵味さんに出品を依頼しています。

「黒へ/黒から」の企画が採用されてから、3階の全室を使うことになったので、出品作家を増やす必要が出てきました。基本的には20代から30代の作家による展覧会と思っていたのですが、もっと上の世代、つまり私が学生の頃に見て学んだ作家たちの20代から30代の時の作品と現在の20代から30代の作家の作品とが並んだ時に、どのようなことがおこるのだろう、という関心が生まれました。そんな時に白土舎の土崎さんに鈴木広行さんの70年代の作品を見せて頂いたときに、作品から受ける印象がとても新鮮だったので、このアイディアを進めることにしました。新作ではなく旧作を出品することを依頼することは難しいかと思いましたが、鈴木広行さんにはその後、快諾して頂きました。さらに作家を探す中で、織部亭の25周年のパーティーで武蔵篤彦さんとお話する中で、アメリカ留学時代に制作したモノクロームの銅版による作品の話を聞きました。武蔵さんはカラーリトグラフによる作品のイメージが強いと思いますが、そのアメリカでのエピソードを聞いた時にその「色と質」の起源を知ったように思い、その作品を出品して欲しいとお願いしました。そしてエンク・デ・クラマーさんはベルギーで活動している作家ですが、2004年に名古屋芸大の客員教授として滞在制作をしています。その時、制作を間近で見る機会があり彼の作り出す「黒」の強さが印象的でした。彼の作品を取り扱うOギャラリーに相談をしたところ出品に協力頂けることになりました。そして、その後もいくつかのギャラリーでの展覧会を見る中で、東条香澄さん、森田朋さんに出品を依頼しました。

今回、片山さんは出品されていませんが、それはなぜですか?

私には彼らのように「黒」に取り組み続けたことはありません。私の作品と制作における経験はこの展覧会のテーマに沿わないのです。自分が出せる展覧会ではなく、見たい展覧会を作る、というのが発端なので、始めから出品することは考えていませんでした。ただ、展覧会のことを考えるにつれて、どんどんと関心は深くなっています。

準備にあたり、ご苦労されたのはどんなところですか?

出品作家同士がほとんど初対面だったので、作家同士のコミュニケーションや展覧会に対する私の考えを伝えることには時間をかけました。作品に関しては彼らが会場でどのように展開することになるのか、楽しみにしています。
準備にあたっては、いろんな人にアドバイスをもらったり手伝ってもらったりしているのでそれほど苦労というものは今のところ感じていません。ただ、これから展覧会が終わるまでに起こる、いろんなことに対する準備が大変になるだろうな、という予感があります。

ズバリ見どころを教えてください

さまようように「静かな密度のある」黒い作品の中を歩いてください。会場をうろうろとする中で、作品のなかに潜む作家の視点や考えを見つけてもらえたらと思います。

最近、特に20代から 30代の7名の作家の作品を見ていて気がついたのですが、彼らの画面の中にはそれぞれ独特の時間の流れが閉じ込められているように思います。その時間の流れは、銅版画という表現方法を通してでしか獲得出来ないものかもしれません。「黒」という色彩とともに「時間の流れ」が見どころかもしれません。

鈴木広行さん、武蔵篤彦さん、エンク・デ・クラマーさんは現在も次々と新しい作品を発表されていますが、今回は30代のころ、どっぷりと「黒」に取り組んでいた頃の作品も出品して頂きます。当時を御存じの方は、今の20代から30代の作家と作品を並んだときに、それらの作品がどのように見えるのか、という見方も面白いのではないでしょうか。

東海のアートシーンについて感じられていることを教えてください

作家が良い距離感を保って活動が出来る場所だと思います。
ただ、アートシーンとして考えると、どれ程の密度があるのかな、という疑問もあります。
質の高い作家は多くいるので、彼らとキュレーターやギャラリー、美術館がもっと交錯してもいいのに、と思うのです。街の規模からするとアートの気配はまだまだ希薄かな。東海の人はもっと「東海のアート」を見つめる必要があるのではないでしょうか。


片山 浩
1971 大阪市生まれ
1994 名古屋芸術大学美術学部絵画科洋画専攻版画選択コース卒業
1997 愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了

個展
1996 STITCH(ガレリア・フィナルテ/名古屋)
1998 ガレリア・フィナルテ/名古屋
1999 printings(ギャラリーAPA F2/名古屋)
2001 in the past(ガレリア・フィナルテ/名古屋)
2003 I smell it in the air (ギャラリーAPA F2/名古屋)
2004 one mimute ago(ガレリア・フィナルテ/名古屋)
   one mimute ago(ギャラリーAO/神戸)
2006 Scent / Water / Light (King Mongkut's Institute of Technology/バンコク/タイ)
scene(ギャラリー芽楽/名古屋)
2007 In defferent scenes(ギャラリー芽楽/名古屋)
2009 Into the depth of the trees(ギャラリー芽楽/名古屋)
   In defferent scenes(ギャラリーすずき/京都)
2010 Cell, ちいさい部屋の平面(名古屋大学教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」)
   surface of a room (ギャラリーAPA F2/名古屋)      ほかグループ展、多数

■ファン・デ・ナゴヤ美術展「黒へ/黒から」
会期/2010年1月13日(木)~23日(日)9:30~19:00(16・23日~17:00)1月17日は休館
会場/名古屋市民ギャラリー矢田 第2~7展示室
出品作家によるアーティストトーク
日時/1月16日(日)14:00~
会場/第2展示室
※同時開催「From Thank-Cyu」アーティストトークなど(1月16日 16:00~、第1展示室)の後、懇親会を予定

■関連展覧会
「黒へ/黒から」at AIN SOPH DISPATCH
2010年1月15日(土)~29日(土)
※阿部大介、川田英二による二人展
http://ainsophdispatch.org/

「黒へ/黒から」at 月の庭
ファン・デ・ナゴヤ美術展2011と同時開催
http://tukinoniwa.jp/

「稲垣元則とENK DE KRAMER」
Oギャラリーeyes(大阪)
2011年1月24日(月)~2月5日(土)
http://www2.osk.3web.ne.jp/%7eoeyes/

写真/東条香澄《夜の入り口》2010年

2010年9月16日木曜日

アーティスト・平川祐樹

アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、アーティストの平川祐樹さんにお話を うかがいました。
 
アートとの出会いについて教えてください。

小学生の時、家の近くに豊田市美術館が開館しました。友人と2人で何度か見に行ったのですが、ある企画展でジュゼッペ・ペノーネ氏の「12メートルの木(1982)」という所蔵作品が展示してありました。
小学生なので「何故、木が美術館に展示してあるの?」と不思議に思って眺めていたのですが、たまたま近くにいた中年の男性が「これはもともと角材から彫り出されているんだよ」という説明をしてくれました。
作品の核となる部分に触れたような感覚があり、とても感動しました。
その時の胸のざわめきが、アートとの本当の出会いだった気がします。

映像に興味を持ったきっかけは?

子供の頃はゴジラやモスラといった特撮映画が大好きで、映画監督に憧れていました。
高校生の時に遊び半分でビデオ作品を制作してみたのですが、とても面白く、それ以来本格的に映像制作を志すようになり、映画の学べる美大に進学しました。

映画ではどんな作品に興味を持っていたのですか?

ア ンドレイ・タルコフスキー監督「ノスタルジア」、テオ・アンゲロプロス監督「永遠と一日」、邦画では小栗康平監督「眠る男」が好きです。
現実と幻想が入り交じるような物語に強く惹かれる傾向があります。
この3作品は、映像の速度が非常にゆっくりとしているのですが、そういった部分にも惹かれるのだと思います。

映画から映像作品にシフトしたのはなぜですか?

映画と映像の定義が曖昧になりつつある現代ですので、私の作品がどちらに位置するのか判断が難しいところです。
学生時代に10作品ほどの劇映画を監督したのですが、制作における根本的な部分は同じです。
ただ、映画館などの上映スペースではなく、ギャラリーなどの展示スペースで発表する事が多くなったため、映像作品と呼ばれる機会が多いのだと思います。
スクリーンと空間・場所・観客の関係性を扱うようになってから、発表の場がギャラリーへと移っていきました。
人物はあまり出てきませんが、物語の構成もあるので多面スクリーンの映画作品を制作していると思っています。

2009年以降のインスタレーション作品は、映画の各シーンという設定が背景にあるシリーズとして制作しています。
映画のシーンを断片化して映像インスタレーション作品として発表し、数十作品が集まって展示されると、1つの物語のようなものが見えてくるように構成しています。

映像、映像インスタレーション、写真と複数のメディアで制作されていますが、メディアはどのように使い分けているのですか?

時期によって、表現したいコンセプトが刻々と変化しているので、そのコンセプトを最も表現するのに向いているメディアを選んでいます。
デジタル・メディアの面白い点は、すべての情報がメディア間を簡単に横断できる点です。
各メディアの境界は非常に曖昧で、確固とした定義付けはとても難しい状況です。
パソコン上では写真を映像の一部に使用したり、逆に映像の一部を写真として使用する事がなんの違和感もなく行えてしまいます。
今のところ、作品に時間軸が必要であれば映像作品に、不要であれば写真 に、空間が必要であればインスタレーションとして発表しています。
映像インスタレーションの場合、空間を時間に置き換える事ができるという点も重視しています。

これらのメディアをとおして平川さんが表現したいことは何ですか?

すべての作品を同じテーマで制作している訳ではないので、一言で表す事はなかなか難しいのですが、「メディアの発達によって変化してきたリアリティのあり方」と括る事ができます。
私が感じているリアリティというのは、現実との直接的な繋がりの上に成り立った現実感なのではなく、常にメディア(媒体)を通して再構成されたリアリティだという点です。
そして我々自身もまた、そのメディアの一部になっていると思います。

現在開催中のグループ展 「浮森」ではどのようなテーマで制作されていますか?

最近は「断片化された物語」というものをテー マに制作しています。
本来、始まりと終わり(話の筋)があって成立するはずの物語が、その時間軸を失って断片化している状況は、現代社会の様々な部分で見られます。テレビをつけると、何の脈略もなくドラマのシーンがはじまり、チャンネルを変えると殺人事件のニュースが流れます。それらは社会の中で起きている様々な物語の一部であり、当事者でない限り物語の前後関係は断絶されてしまって います。
そうして断片化された物語には、物語の「予兆/残余」だけで構成された現実感が存在しています。
その現実感を、作品を通してどうにか現前化させようと試みています。

「浮森」では、断片化された映画のシーンというシリーズ作品から、森に関する作品を2点出品しています。

文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品《Resight》(2007年)では、
その場所が持つ歴史や時間を立ち上げていましたが、サイトスペシフィックな作品の制作は平川さんにとってどのような意味を持ちますか?

現在、名古屋駅南に流れる中川運河の地霊(ゲニウス・ロキ)へとアプローチしたサイトスペシフィック作品の制作を行っています。
地霊とは、その場所が持つ特有の雰囲気をさし、歴史的背景・地形・人々の営みなど様々なものによって醸し出されるものです。
過去の蓄積であると同時に、場所の「予兆」であり、時間軸を持った物語でもあります。
そういった地霊から読み取った物語を運河周辺で撮影し、映像作品にその雰囲気を閉じ込めようとしています。

サイトスペシフィック作品の場合、物語は場所から生まれ、場所に帰ってゆく事が出来ます。
「断片化された物語」をテーマに作成しているシリーズが、都市の中で宙づりになった物語だとすると、サイトスペシフィック作品は大地に横たわった物語です。
ともに、現代の物語のあり方を探っているという所で、私の中では一貫しています。

現在制作中のサイトスペシフィック作品は、あいちトリエンナーレ企画コ ンペ入選企画として「中川運河 -忘れ去られた都市の風景-10/愛知芸術文化センターアートスペースX)」にて発表予定です。


東海のアートシーンについて感じていることがあれば教えてください。

名古屋はよく「刺激が少ない街」のように言われる事が多いですが、作家がアトリエを構えるにはちょうど良い刺激量の街だと思います。
中心街にいってもそこまで人口密度が高いわけでなく、街の中に適度な空白があり、遠浅の海辺のような雰囲気があります。
あいちトリエンナーレ2010が開催され、東海のアートシーンが活気づいているように見えますが、その活気をいかに持続していくかが、私たち地元作家の課題だと思います。
その一つの方向性として、地元作家のコミュニティ形成というものが重要になってくるのでは無いかと思います。


平川祐樹

1983年 名古屋市生まれ、豊田市育ち
2008年 名古屋学芸大学大学院メディア造形研究科修了
現在、名古屋市在住

【主な展示、上映会】
2007  Toyota Art Competition 2007(立体部門優秀賞) | 豊田市美術館、豊田市
    KOBE BIENNNALE | メリケンパーク、神戸市
     蔵にひそむアート | 野田味噌商店蔵の杜、豊田市
2008  Light in the Dark | Yebisu Art Labo、名古屋市
    ヴァーチャルリアリティ | Galleryアートフェチ、犬山市
     ASK?映像祭2008 | ASK?、東京都
2009 名港ミュージアムタウン | 築地口界隈、名古屋市
     Asia Digital Art Awards 2008 | 福岡アジア美術館、東京ミッドタウン
    第12回文化庁メディア芸術祭 | 国立新美術館、東京都
    白昼夢 DayDream | 愛知県芸術文化センター、名古屋市
     ASK?映像祭2009 | ASK?、東京都
    Festival Miden 2009 -Urban (R)evolution | Histric Centre of the city of Kalamata、ギリシャ
     Electrofringe 09 |Newcastle、オーストラリア
    個展「乖離するイメージ」|Standing Pine-cube、名古屋市
    KC-LAB1 |Korzo5Hoog、オランダ
     KoMA'6 |Hall of Faculty of Music in Belgrade、セルビア
2010  ART FAIR KYOTO in Hotle Montrey | Hotel Moterey,Kyoto、京都
    映像の学校 「愛知の新世代たち」|愛知芸術文化センター、名古屋市


【今後の展示、上映予定】
「浮森 -floating forest
2010 911日(土)~103日(日)
Standing Pine -cube(中区栄)
出品作家:伊藤正人、田口健太、平川祐樹

あいちトリエンナーレ2010現代美術企画コンペ入選企画展
「中川運河 -忘れ去られた都市の風景-
2010 106日(水)~1031日(日)
愛知芸術文化センター・アートスペースX
企画:田中由紀子 出品作家:平川祐樹、水野勝規、吉田知古

上映「Cinesonika
20101112日(金)~21日(日)
Simon Fraser University Surrey Theatre(カナダ)

写真:《synchrome
Double Channel Video Installation,2009,08:40 loop,Full HD,Silent

2010年6月15日火曜日

アーティスト・伊藤正人



アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、アーティストの伊藤正人さんにお話を うかがいました。


壁や原稿用紙に万年筆でテキストを書いていらっしゃいますがテキストの作品を制作し始めたきっかけは何ですか?

 学生のころからだれにも見せない個人的な文章を日常的に書いていて、もしかしたらそれが作品になるのではという思いはずっと抱いていました。
 転機となったのは大学4年生のときのドイツ留学でした。実はドイツで美術をやらずに小説を書いていたのですが、ちょうど卒業制作も同時期だったのでその小説を出したいと教授に申し出たら「視覚芸術でないと作品として認められない」と言われました。その一言でずいぶんと落ち込みましたが、教授に対する反骨精神のようなものもあって「文章だってまず目という視覚機能で文字というかたちを認識して、それからはじめて文字を文章として読めるわけだから、そこに視覚的な要素も充分あるはずだ」と考えて、「a piece of voice」(http://royalbluemountain.blogspot.com/2005/01/piece-of-voice-200501.html)という作品をつくりました。
 この作品は美術のための小説作品であり、小説のための美術作品でもあると思っています。(ここではあえて「文学」という言葉を使いますが)美術側から文学へとアプローチする、あるいは文学側から美術へアプローチするという思考の流れ方のようなものもその頃からいまに至るまで常にどこかで意識しています。

テキストの青色にはどんなこだわりがあるのですか?
 
遠くにある山が青く見えるのは、理由のひとつとしては空気の層が重なっているからなのですが、たまたま知人から頂いた万年筆のインクの色がロイヤルブルーで、万年筆というのは買うと最初に入っている色がかならずロイヤルブルーなのだそうです(かつてヨーロッパで公式の文書にサインするときはこの色を使っていたそうです)。
 たまたま、遠くの青と手元の青が符合していたのだと気付いたときに、文章の作品のイメージがぼんやりと浮かび上がりました。青というのは景色までの距離を測るために必要不可欠な色だと思っています。

テキストの言葉はふだんから書きためていらっしゃるのですか?

 個人的に毎日書きとめている短い日記と、一ヶ月のあいだに2,3回書いている長い日記のようなものがありますが、作品のための文章をふだんから書きためるということはあまりしません(ブログに書いている文章は作品未然の文章として書いています。ツイッターは今のところ備忘録的存在です)。
 書きたいことはずっと頭のなかに浮かんでいるのですが、それが文章になるには長い時間がかかります。そのあいだ、ずっと景色を見て考えています。書きたいことと景色がつながったとき、ようやく作品としての文章を書くことができます。

以前はおもに壁に書いていらっしゃいましたが昨年くらいから原稿用紙を使われるようになったのはなぜですか?

 作品として、僕の書いた文章がひとの手に渡っていくことをずっと考えていました。壁をまるごと渡すわけにはいかないので、どういうかたちであったらシンプルに手渡すことができるだろうかと。文章というと本や手紙といった媒体が浮かびますが、それではあまりに形式的過ぎる気がしていまもまだ納得できておらず、壁に書きはじめてから3年ほど経ったころに原稿用紙というものに出会えたとき、とてもしっくりくる距離感がありました。
 文学館へ行くとよくショーケースに作家の生原稿が展示してあって、それもヒントになっています。壁に書いたものは渡せないのですが、その生原稿として原稿用紙の作品を渡すことは可能だと思ったわけです。

「Royal Blue Mountain」シリーズではテキストで山並みの景色を立ち上げていらっしゃいますが「Royal Blue Mountain」シリーズで伊藤さんが表現したいことは何ですか?

 一言で言えば「景色」です。とても抽象的な言い方になってしまいますが、言葉で景色を越えたいと思っています。
 たとえば部屋にこもって文章を書いているとき、小説を読んでいるとき、ふと息抜きがてらにそとへ出ると、目のまえの景色が躍動して見えることがあります。大袈裟ですが「世界が生きている」とさえ思います。そんな世界を相手に文章で戦おうとしているだなんて、とてもじゃないですが勝ち目はないと思ってしまいます。勝ち負けの問題ではないのですが、もし言葉の限界を超えて、さらに眼前の景色を越えることが可能だとするならば、そこにはおそらく美術の力が必要なのだと思っています。

最近、山並みから森や植物にテーマが広がっているのはなぜですか?

 景色に対する自分の位置取りの変化、言葉に対する距離の置き方の変化だと思います。
 「Royal Blue Mountain」という作品ではたとえば自宅のベランダから見える山の断片がひとつの指針となっていますが、最近はその山のほうへ近づいていく道もみつけたということです。足下で何気なく微風にゆれている植物の葉先をぼんやり見ていた自分自身に気付いたとき、そのぼんやりとした距離感が言葉そのものに対して僕が定めている距離感ととてもよく似ていると思ったのです。

今年はグループ展、個展が目白押しですがどんな展開を考えていらっしゃいますか?

 12月にアインソフディスパッチで個展があるので、そこでは今年ずっと考えている植物のことをとおして改めて青い山についての作品を発表しようと思っています。インクの青色と山の青色が符合していたと気付いたときのように、言葉の質量と景色の質量のようなものがひとつのある概念によって符合していたとついさいきん知ったのです。そのことについてうまく作品にできたらなと思います。
 自分の身体が移動し続ける限り景色に終わりがないように、ひとつひとつの作品が連綿と続いていくように作っていこうと思っています。

東海のアートシーンについて感じていることがあれば教えてください。

 東海、主に名古屋ということになりますが、なんだか名古屋はしずかな船着き場のように思えます。他の土地からそこにやってくることもできれば出ていくこともできるし、つながりもいろいろあるわけですが、流れはあるはずなのに出入りする際の音がしずかで澱んでいるように思えるのです。自ら音を出すことも、他者から音を出されることもあまり好ましく思っていないような。あるいは音の出し方を知らないだけなのかもしれません。
 僕自身はといえば、いま自分にとってどんな船が望ましいのか、船の種類を見定めているところです。



伊藤正人

1983 愛知県豊田市生まれ
2004-05 Bauhaus Universität Weimar(ドイツ, ワイマール)短期留学
2005 名古屋造形芸術大学 総合造形コース卒業
2006-08 オルタナティヴスペース「galleryアートフェチ」(名古屋)に所属
現在、名古屋在住

|主な展覧会|
2010
「ボクラノミカタ」ガレリアフィナルテ(名古屋)
MOOKAIN SOPH DISPATCH(名古屋)
Collection/Selection 02GALLERY CAPTION(岐阜)

2009
cutlog 2009Bourse de Commerce de Paris(フランス, パリ)
「常滑フィールド・トリップ2009」とこなめ中央商店街(愛知県常滑市)
LandscapeGALLERY CAPTION(岐阜)


2008
「常滑フィールド・トリップ2008」とこなめ中央商店街(愛知県常滑市)
個展「Royal Blue Mountain -sight hearing-galleryアートフェチ(名古屋)

2007
「鏡 -微睡みと反射-」ギャラリーフロール(京都精華大学)
「秋の芸術フェチフェアー」galleryアートフェチ(名古屋)
Since 2004galleryアートフェチ(名古屋)

2006

個展「Royal Blue Mountaingalleryアートフェチ(名古屋)

 
展覧会スケジュール
EXTRA NUMBER 2010
会期|2010年7月24日(土)−8月7日(土)
時間|13:00−21:00 ※木曜休
 会場|AIN SOPH DISPATCH名古屋市西区那古野2-16-10円頓寺本町商店街JAMJAM奥入ル)

蟬の会
会期|2010年8月1日(日)−8月7日(土)
時間|10:00−17:00 ※月曜休
会場|文化のみち橦木館(名古屋市東区橦木町2丁目18番地)
入館料|200円

ミニアチュール展
会期|2010年8月21日(土)−9月26日(日)
時間|12:00−18:00 ※火・水曜休
会場|ギャラリー芽楽(名古屋市名東区梅森坂1−903)

浮森 -floating forest-
会期|2010年9月11日(土)−10月3日(日)
時間|13:00−19:00 ※火・水曜休
会場|Standing Pine cube(名古屋市中区錦2丁目5−24えびすビルPart 3F

個展
会期|2010年12月11日(土)−25日(土)
時間|13:00−21:00 ※木曜休
 会場|AIN SOPH DISPATCH名古屋市西区那古野2-16-10円頓寺本町商店街JAMJAM奥入ル)

写真/《flora》
原稿用紙に万年筆、2010年
 

2010年3月15日月曜日

アインソフディスパッチ 天野智恵子

アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、円頓寺商店街のセレクトショップJAMJAM店内を通り抜けたスペースにある隠れ家的ギャラリー、アインソフディスパッチのオーナーの天野智恵子さんにお話をうかがいました。


アートに興味を持ったきっかけは?

作家の杉本充さんと出会ったことです。保育科で学んでいたのですが、実習で向いていないことに気づきました。私は人の下で働くのは苦手だし、保育の仕事には適性のある人でなければ就いてはいけないと。それで学校が楽しくなくなったのですが、当時、造形科目を担当されていた杉本さんの研究室に行くと制作中の作品や美術書があり、アートに興味を持ち始めました。美大を受け直そうと杉本さんに相談したところ、大学よりも現場の方が勉強になると、画廊に連れて行ってもらうようになり、ちょうどアシスタントを募集していたギャラリーに就職。産休も含めて、10年くらいそこで働きました。

その後、独立しようと思ったのはなぜですか?

ギャラリー経営には経費がかかるので、独立はできないと思っていました。でも、私がいいと思う作家を勤務先のギャラリーでは扱えない場合も多く、ならば自分で立ち上げるしかないと。当初、展示場所はなくていいと考えていて、フリーでキュレーションをするために事務所を探していたところ、JAMJAMさんが移転先店舗の奥のスペースを使わないかと声をかけてくれたんです。JAMJAMさんの顧客にはデザイナーやクリエイターなど一点物を好まれる方が多く、部屋にアートが欲しいけれどどこで買っていいのかわからないという人も。独立してすぐにお客さんを呼ぶのは難しいですが、そういう方がお客さんになってくれました。

JAMJAMさんには、こちらの取扱作家とのコラボ商品もありますね。

ふるかはひでたかさんの陶器のかけらのペンダントや、日めくりTシャツ、大竹司さんの切り絵モチーフのワッペンなどがあります。ワッペンは、JAMJAMさんが専門業者さんに手配した縁で扱っていただいてます。グッズをギャラリーに出すと遊びっぽくなりがちですが、JAMJAMさんに置いていただけることで客層が広がります。服屋さんに来るような感覚で画廊にも来てほしいので、グッズがそのきっかけになればと。

商店街にあるメリットはありますか?

雨に濡れないこと(笑)。アーケードがあるので、搬入搬出は楽です。古い商店街ですが、若い世代にはあまり知られていないので、円頓寺にあると説明しても通じないことも。七夕祭りなどには相当の集客がありますが、イベントに来た人が来廊してくれることはほとんどないので、商店街にあるメリットは今の段階では、残念ながらあまり感じません。

どんな作家や作品に魅力を感じますか?

職人的な、緻密で仕上がりが美しい作品が好きですね。見せ方がうまい作家にも魅力を感じます。あと、決まりすぎず、スッとはずした感じに展示できる人、周りの空間や空気まで作品にできる作家。スゴイなと思う作品をつくる作家は、すべて尊敬できます。

アインソフディスパッチというギャラリー名の由来は?

「概念外」「何にもない」という意味のギリシャ語「アインソフ」と、「場所」を表す英語「ディスパッチ」の造語で、私がいいと思った作家や作品を発信していく場所という意味です。ギャラリーであることがわからないとよく言われますが、「ギャラリー」とすると来る人を限定してしまうので、あえて「ギャラリー」とつけませんでした。

開廊して3年半になりますが、ギャラリーを運営する上での悩みや葛藤はありますか?

悩みや葛藤はないわけではありませんが、どんな仕事にもありますし、それを言っても仕方がありません。アートを扱う以上、楽しい場所でありたいので、たいへんなことは出さないようにしています。

今後、展開していきたいことはありますか?

今月開催のブックマークナゴヤに初参加します(下記参照)。個展を開催していくのが精いっぱいでしたが、そろそろ外部との接点も持たなければと。これまでも多くの人に来ていただくために、見せるもののクオリティは高いまま、ギャラリーの敷居を下げることを心がけていましたが、個展形式では新しいお客さんになかなか来ていただけません。アート以外のイベントに参加することによって、こういう場所があることを多くの人に知ってもらえるチャンスになるのではと。外部とのネットワークをつくることで、古くからあるギャラリーがやってこなかったことに積極的に挑戦していきたいです。

名古屋のアートシーンについてどう思われますか?

もっとにぎやかにしていきたいですが、具体的にこういうことをしたいとかはありません。ここを運営していくことが、名古屋のアートシーンを活性化させる一つになればいいなと。いい作家がいて、プレゼンできるギャラリストがいて、評価するキュレーターや評論家がいて、作家を支援するコレクターがいて…といろいろな人がつながっていかないと活性化していかないと思います。


■展覧会スケジュール

MOOK

会期:2010年3月20日(土)~4月4日(日)木曜休廊
時間:13:00~21:00
会場:アインソフディスパッチ
名古屋市西区那古野2-16-10
052-541-3456、http://AinSophDispatch.org

参加作家:川田英二、平田あすか、荒木由香里、ふるかはひでたか、近藤ケイジャン、大竹司、阿部大介、岡田裕樹、碓井ゆい、石崎誠和、伊藤正人、テラオハルミ

写真:EXTRA TIGER 2010 展示風景 撮影/山口幸一