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2012年12月16日日曜日

GALLERY APA 渡邊見美

アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、GALLERY APAの渡邊見美さんにお話を伺いました。 

渡邊さんがAPAを引き継がれてどれくらいになりますか?

2003年5月に先代の父が亡くなり、私が企画展を始めたのが057月です。でも最初の1年半ほどは、父の代からお世話になっている作家さんなどから「この人をやりなさい」と言われてやっていました。ギャラリーというのはこういうものかと思っていましたが、年齢が離れたキャリアのある作家さんの企画展を自分がやりたいわけでもなくやっているのが苦痛で。「この人を」と言われても断って自分で作家を探すようになり、私らしさが出てきたのはここ数年ですね。 

お父様の時は一定の評価のある方を扱っていらっしゃいましたが、渡邊さんの代になって若手でも実力がある方が1階で個展をするようになり、APAのイメージが変わりました 

あるギャラリーの方が、自分の年齢の上下10歳くらいまでの作家がつき合っていきやすいと言っていましたが、年齢が離れていると価値観や作品のいいと思うところも違ってきます。背伸びするよりも自分がいいと思える作家を紹介した方がいいと、方向性を変えました。若手を取り扱い始めた当初は「俺のプライドはどうなるんだ」とおっしゃる古株の作家さんもいましたが、ひるみませんでした。 

画廊のお仕事をされていたわけではないのに、APAを引き継ごうと思われたのはなぜですか? 

2005年4月からAPAの運営に関わったのですが、それまでは父が信頼していた方から紹介された人に任せていました。その人が父の思い出話をするお客様に「そういう話をするなら来ないでください」とか、何度かいらしたお客様に「そろそろ買ってください」と言ったりしたため、父との会話を楽しんで絵も見てくださっていたお客様が離れていきました。「行きづらくなった」という手紙や電話をいただき、このままではいけないと一念発起しました。

また、その年の56月は壁の補修をするために休廊予定だったところ、4月に突然、新聞に「APA閉廊」と書かれてしまいました。任せていた人がそのことを隠していて、ある作家さんから「APAが閉廊すると僕ももうできないね」と言われて愕然としました。その人には辞めてもらうことが決まっており、「私が辞めるから続けていけないんじゃないですか」と根拠のないことを話していたらしいです。でも、だからこそ私がやろうと強く思えたのかもしれません。

そんなこともあってAPAの周囲から人が離れていきました。でも人生の勉強をさせてもらいましたし、本当に気の合う人とやっていった方が楽だなと思うようになりました。 

渡邊さんはアートフェアなど新たなフィールドに挑戦されていますね 

まずアートフェア東京に出展を2回応募して落とされました。それで実績をつくろうといろいろなフェアに出展して、3回目にアートフェア東京に出展できました。父がやらなかったことをやりたかったのではなく、もっとアートを身近に感じてもらいたいと参加したのですが、実際に参加してみると、その思いとアートフェアがかけ離れていることに気づきました。アートフェア自体、アートに関係ない人が来るところではないですから。長久手アートフェスティバルに参加したのは、こちらの方がアートの楽しさを広げられるかなと思ったからです。趣味でつくったような作品をダンボールに並べている方もいましたが、私はパネルで壁面をつくって絵を展示しました。そうしたら、5000円の作品を迷われていたお客様が会場を一周して戻ってきて、「初めて絵を買うんですけど、どうやって掛けたらいいですか」と買ってくれました。

クリエイターズマーケットには招待ブースで参加しましたが、温度差がありました。「高い」と言われるお客様が多かったですし、いつもどおりに整然ときれいに展示したら、近寄ってもくれませんでした。だから今回の長久手はポストカードから置こうと。そうすれば原画を手に取ってみたくなるかもしれないですし、そういうものも必要と思いました。 

経験なく始められたからこそ、既成概念にとらわれずに活動を広げられたのでしょうか? 

作家さんに「見美さんは作家っぽい」とよく言われます。壊したい、そして自分のやり方で見せたいというところが作家みたいだと。中日新聞に取材された時も「福袋やチャリティで全額寄付など他のギャラリーがやらないことをやるのは、他とは違うことをしてやろうと考えているからですか」と聞かれましたが、そういうわけではないです。福袋は熱帯魚の店でもやっているので、アートでもあっていいのではと発想しました。こうじゃなきゃいけないとか他に合わせないといけないということはないと思うので、私らしさが出せたらと思います。 

渡邊さんがアートに興味を持ったきっかけは? 

高校生の時にAPAがオープンしたのですが、百瀬寿さんの作品のグラデーションがきれいで思わず「これ欲しい」と8万円で買ったのが始まりです。高校生にとってはすごい金額と思いますが、年に1回くらいそういうことがありました。私が「赤がいい」と言うと、父は「グリーンの方が飽きがこないよ」と。その作品をいま見ると、父の言うことを聞いておけばよかったなと思いますが、父にはお金を払ってそういう勉強をさせてもらいました。 

これまでで、あれは大変だったなと思うことは? 

個展初日の開場時間を過ぎてもここに作品がまったくなく、その時は焦りました。11時オープンなのに作家さんが来たのは13時過ぎで、オープンすぐに見に来てくれたお客様には申し訳なかったです。若手にも約束の搬入時間に現れず、その日の夜中に到着したという人も。大変でしたが思い出に残っているということは、楽しかったということなのかもしれませんね。 

またいつか再開するということはありそうですか? 

そういうことがあったとしても、ここの空間では再開しないと思います。ここは父かつくった空間なので、その時は私が空間を新たにつくると思います。ここで初めて個展をした若手は「その時は僕たちが見美さんを支えます」と言ってくれていて嬉しいです。とくに加藤雅也さんは私が何を頼んでも断らない。ここでやらせてもらうと決めた時から見美さんに頼まれたことは絶対断らないと決めました」と。 

来年33日まで開催の「APA集大成!卒業展」について教えてください 

これまで紹介してきた作家を一堂に紹介しますが、それではいつもと変わらないので初めての作家を2名加えています。「APA成果の集大成展」で33名を見せて、次の週から1週間3名ずつの個展が続きます。これまで1階のMain Roomで展示したことがない作家に、あえてMain Room で展示してもらいます。「期待してるから裏切らないでね」と脅してます(笑)。 

渡邊さんも全力疾走ですが、作家さんも全力疾走ですね。その後の企画は? 

3月8日から2階で開催するMarche de APA 展も他ではない企画。アートのスーパーマーケットというか、買物かごに商品を入れるイメージです。作品もきれいに並んでなくて山に積まれた中から探す感じです。作家にもスーパーに並んでいるようなものでお願いしています。北村尚子さんは卵をつくるそうですし、鈴木広行さんは趣味で動物の形に彫った切り株を出してくださるようで、洋服についているようなタグを付けたいと。スーパーで生産者の名前とコメントが写真付きで紹介されているようなキャプションも用意したいです。できれば作家さんのコメントを録音して店内放送のように流したい。震災の時から考えていたことがようやく実現しますが、最後なのでハメを外して楽しみたいです。

その後は2729日で壁のクロスに作家に直接絵を描いてもらい、それを3031日に切り売りをします。公開制作で誰かが描いたところに、ほかの作家が描いたりしておもしろい作品になりそうです。 

最終日までぎっしり盛りだくさんですね 

静かにわからないように閉めるギャラリーも多いですが、私は最後はみんなで「お疲れさま」と盛り上がりたいです。すーっとしぼんでしまうと、ここでやってきた作家のモチベーションも下がってしまうので、気持ちを切り替えて頑張ってもらうためにも最後まで力を出し切りたいです。閉廊について言うのが早すぎるのではと言う方もいましたが、それは私の中では思い出をどうつくるかとか、APAの最後に向けての展開を考えるのに必要な時間だったんです。

Marche de APA展についても規約を送り忘れてしまい、ある方から「売れたら全部APAに寄付なの?」聞かれました。もちろんそんなことはありませんが、だから返事が来ない人もいるんだと。その時は規約をあらためて送りますと答えましたが、そんなことを気にせずに参加の意思を示してくれた方の気持ちを大切にしたいし、その人たちと一緒にやる方が気持ちいいなと。 

Marche de APA展で初めて作品を買う人もいるでしょうし、その人にとってはその経験がいろいろなところで作品を見たり買ったりということにつながると思います。最後にパァッとはじけて、種をたくさん蒔く感じですね。では最後に、これまでやってきて名古屋のアートシーンについて思うことはありますか? 

NAGOYA ART MAP制作をとおして、いろいろなギャラリストと交流できましたが、名古屋はギャラリーの仲がいいと思います。東京の人に話すと「商売敵なのにすごいね」と言われます。HAMの伊藤さんやacsの佐藤さんなど、いろいろ教えてくださる先輩が多く、そういう方たちと関われて恵まれていたと思います。


■APA集大成!卒業個展
                  Main Room(1F) Fine Room(1F) F2(2F)
12月18日(火)~23日(日) 伊藤里佳      藤原史江     松岡徹+仲間たち
1月8日(火)~13日(日)    小野養豚ん       藤掛幸智     加藤K     
1月15日(火)~20日(日)    水野誠司・初美   栁本美帆     寄川桂
1月22日(火)~27日(日)  横井彰        横田千明              幸勝也・渡邉貴子
1月29日(火)~2月3日(日)  加藤雅也              大村優佳              小澤輝余子
2月5日(火)~10日(日)        久保田毅楽          カオリとマリコ       石神則子
2月12日(火)~17日(日)      島嵜りか               加藤真也              梶千春
2月19日(火)~24日(日)      吉野もも               天野芙美               福永照久
2月26日(火)~3月3日(日)  松尾栄太郎          鈴木かおり           前田真喜子

Marche de APA
2013年3月8日(金)~24日(日)
 
GALLERY APA
名古屋市瑞穂区汐路町1-15
 

2012年9月15日土曜日

アーティスト・荒木由香里

アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、愛知県美術館での個展「APMoA Project ARCH 何ものでもある何でもないもの」を終えたばかりの荒木由香里さんにお話を伺いました。


アートとの出会いについておしえてください。

《星を想う場所》 2011年
小さいころから美術館や博物館にはよく連れて行ってもらっていて、見るのは好きでした。書道も習っていて、中学生のころまでは書道で生きていこうと思っていたほど。天邪鬼だったのでおもちゃが欲しくても欲しいと言えず、段ボールや紙、海で拾った石や流木を使って、自分でつくって遊んでいました。書道は手本どおりに書くのが次第に楽しくなくなってきて、並行してやっていた物をつくるのは楽しくて、そのまま来たという感じです。

その流れで自然に美大に進学されたのですか?

美大に行くと当然のように思っていました。母方の親戚は木箱をつくるお店をしていて、父方には絵を描いている人や陶芸をやっている人がいて、ものづくりや美術が身近にあったからだと思います。それからNHK教育テレビの影響も。「できるかな」など子ども向けの工作の番組をよく見ていました。人形の男の子が魔法のメガネをかけると物と会話ができるようになり、そこから社会の仕組みを理解していくという「それいけノンタック」も大好きでした。現在の、物も生き物も対等という考え方やものの捉え方に影響を受けていると思います。

彫刻科に進んだのはなぜですか?

絵を描きたいと思ったことがなく、つくりたいものはいつも立体で浮かんでくるんです。書道をやっている時も、一角一角が重なって形になっていくのを立体のように捉えていました。彫刻科に進んだのは自然な選択だったと思います。

当初から既製品を使った作品を発表されていますが、既製品に興味を持ったきっかけは?

大学2年生の夏休みに既製品を使った作品を制作するというレディメイドの宿題が出たんです。それまでは光とか建物の空間を利用した作品を作っていましたが、雑貨が好きだし、物を集める癖もあるので、好きな素材を扱えるのがとても楽しくて。その時はシャンプーハットを大量に買ってきて全身に装着する立体作品をつくりました。それは納得のいくものではなかったのですが、そこで味をしめたというか。課題は半期に1点くらいのペースだったので、既製品を使った作品を自分で勝手にどんどん制作しました。

荒木さんが大学3年生の時の学内での展示を見たことがあります。その時は課題だと思われますが、空間にテグスを張った作品を発表されていましたね。

ソフトスカルプチャーというテーマで制作した課題の発表でしたが、テグスを張っていた時、それがとても美しく見える瞬間があり、初めて自分の作品に感動したことを覚えています。想定を超えるものが目の前に現れた驚きというのでしょうか。
制作する時は、最初に完成時のシルエットが頭の中に360度で浮かんできます。この時には細部まで決めず、制作しながら色やバランス、ボリュームを考えつつ、付けたり取ったりしていきます。絵を描いていく感じに似ているかもしれません。また同時に粘土で取ったり付けたりするようにもつくります。そうすることで、最初の完成イメージを超えられるような作品をつくれたらと思っています。

初期の代表作《完璧なペア》は、どういうところから着想されたのですか?

《完璧なペア》 2007年
大学を卒業後、作家としてやっていくうえで核となるテーマが欲しいと考えていた時に、祖母が亡くなり、ロンドンでテロが起こりました。その時、私もいつ死ぬかわからないけど今の作品じゃ死ねない、よりよく生きていくために制作がしたいと思いました。なにができるか模索していた時、棺桶に納められた祖母への違和感を思い出しました。化粧されて花に囲まれてきれいだけど、祖母だったのに祖母じゃない。もう人じゃない。物が物でなくなる瞬間、靴が履かれなくなった時、それは靴なのかと。人とのつながりも見せたいと、知人の夫婦から履かなくなった靴をもらい片方ずつリボンでつないで、物の記憶や汚れがサンゴみたいに増殖するイメージでビーズを付けました。靴はもともと好きでしたが、持ち主の好みや歩き癖も出るし、その人の人生と重なる部分があるところから選びました。
でも最初はビーズじゃなくてアラザン(製菓用の砂糖)だったんです。きれいだけど儚い。いつなくなるかわからないというところを表現したくて。でもそれでは保存できないのでビーズに変えました。ビーズは宝石に似せてつくられたものだけれど、アラザン同様に儚さがある。宝石を超えるような扱い方ができたらいいなと。

球体シリーズをつくられたきっかけは?

《Yellow》 2012年
それまでは個展のテーマはありませんでしたが、一つのテーマで空間全体を構成してみようと思い、「サーカス」というテーマで個展をしました。ほかの作品はサーカスという言葉やイメージを分解してつくっていきましたが、楽しい雰囲気やいろんな要素を凝縮した作品があってもいいなと思い制作したのが球体シリーズの最初の一点です。

それまでは既製品といっても、記憶を宿す物や忘れ去られた玩具など古い物を使っていましたが、球体シリーズからは古い物にこだわらず新しい物も使われていますね。

古い物がよくて新しい物が魅力に欠けるという考え方に問題があるなと思い、どちらも対等に混在させていこうと。今は色、素材、形などものの捉え方がテーマ。見慣れたものも角度によって違って見えたり、柔らかそうに見えてもそうじゃなかったり。愛知県美術館での展示では、ノートに書かれた感想がみんな違っているのがおもしろいです。実験というか作品そのものが着地点ではなく、作品をとおしてものの見え方を考えるのが着地点。それが楽しいので、このシリーズはもう少し続けていくつもりです。

これから挑戦したいことはありますか?

球体シリーズを現在のような球体ではなく、空間の中にある目には見えない形を引き出してつくったり、言葉でパーツを集めたシリーズ、たとえば「女」なら女性をイメージさせる物を集めた作品を制作してみたいです。既製品を使っている点で、私の作品は誰にでもできるかもしれません。でも世の中に無数にある既製品の中から私がおもしろいと思う形、きれいと思う物を集めているので、ほかの人にはできないと思うし、まねのできない作品を目指したいです。

東海エリアのアートシーンについてどう思いますか?

関西でも展示する機会がありますが、東海はアートスポットのある場所が固まっているので、アーティストやアート関係者が仲がよくていいと思います。オルタナティブスペースやギャラリーも増えてきているので、ますますおもしろくなるのではないかと思います。


荒木由香里プロフィール
http://yukariaraki.com

1983 三重県生まれ
2005 名古屋芸術大学美術学部造形科卒業
2006 同研究生修了

個展
2007 荒木由香里 展(AIN SOPH DISPATCH/名古屋)
    荒木由香里 展(伊勢現代美術館/三重)
2008  Tiny tiny garden(足助病院/愛知)
    荒木由香里 展(AIN SOPH DISPATCH/名古屋)
    海ヨリキタリテ(弁天サロン/愛知)
2009 waltz(studio J/大阪)
2010 circus(AIN SOPH DISPATCH/名古屋)
2011 Constellation (studio J/大阪)
    あいちトリエンナーレ地域展開事業
    あいちアートプログラム 荒木由香里展 星を想う場所 (佐久島/愛知)
    Epistemology (AIN SOPH DISPATCH/名古屋)
2012 APMoA Project ARCH 何ものでもある何でもないもの(愛知県美術館/名古屋)

グループ展
2003 月の茶会(佐久島/愛知)
     の素(Art&Design Center/愛知)
     まちなかアート(西春町各所/愛知)
2004 G−U(Art&Design Center/愛知)
2005 ちょっとよりみち(T.A.G. IZUTO/名古屋)
     dine.ex(Art&Design Center/愛知)
2006 ホームメイド(プラスギャラリー/愛知)
     今年もちょっとよりみち(T.A.G. IZUTO/名古屋)
2007 十三粒のヘソのゴマ展(東山荘/名古屋)
     今年もちょっとよりみち(T.A.G. IZUTO/名古屋)
2008  今年もちょっとよりみち(T.A.G. IZUTO/名古屋)
    ASYAAF(asia student & young artist art fair)(ソウル旧駅舎/韓国)
2009 眼差しと好奇心 vol.5(Soka Art Center 台北/台湾)
    アーツチャレンジ2009 新進アーティストの 発見in愛知(愛知芸術文化センタ/名古屋 )
    越後妻有アートトリエンナーレ(十日町病院/新潟)
    ART OSAKA 2009 (堂島ホテル/大阪)
    VANTAN TOKYO (GALERIE EOF/15Rue Saint Fiacre 75002/パリ、フランス)     
    エマージング•ディレクターズ•アートフェア「ULTRA002」(スパイラル/東京)
    ヨッチャンの部屋vol.4 アトリエの音楽展(大阪造形センター/大阪) 
2010 あいちアートの森 佐久島プロジェクト「雛の祭り」(弁天サロン/愛知)
MOOK (AIN SOPH DISPATCH/名古屋)
     群馬青年ビエンナーレ 2010 (群馬県立近代 美術館/群馬)
     NAVIGATION 庄司達退官記念展 (文化のみち 橦木館/名古屋)
     エマージング•ディレクターズ•アート フェア「ULTRA003」(スパイラル/東京)
2011  アートフェア京都 (ホテルモントレ京都/京都)
    ART OSAKA 2011 (ホテルグランヴィア大阪/大阪)
    ART NAGOYA 2011 (ウェスティンナゴヤキャッスル/名古屋)
    ヨッちゃんビエンナーレ2011 (de sign de> / 大阪)
2012  ART KYOTO 2011 (ホテルモントレ京都/京都)
    大イタリア展 Viva italia! (心斎橋スタンダードブックストア、studio J/大阪)
    View (アートラボあいち/名古屋)
    アートをおうちに持ち帰る。新しくて、楽しくて、温かい毎日が始まる。」展(銀座三越/東京)
    ART NAGOYA 2012 (ウェスティンナゴヤキャッスル/名古屋)


ワークショップ
2007  ゴミで植物をつくろう。(伊勢現代美術館/ 三重)
2008  サクシマのイキモノをつくろう。(弁天サロン/愛知)
2009  風景画を描こう。(やさしい家/新潟)
2011  星をつくろう。(弁天サロン/愛知)

パブリックコレクション
2012 佐久島



■展覧会スケジュール
EXTRA NUMBER
会期:9月8日(土)~22日(土)
会場:AIN SOPH DISPATCH
http://ainsophdispatch.org

+プリュス:ジ・アートフェア 003
会期:11月2日 (金) ~4 日(日)
会場:スパイラルホール(スパイラル3F)
http://systemultra.com/

「小早川コレクション 麗しのマイセン人形」展 
会期中にワークショップを開催、終了後に作品を展示します。
会期:11月23日(祝)~5月6日(祝)
会場:岐阜県現代陶芸美術館
http://www.cpm-gifu.jp/museum/01.top/index1.html

個展
会期:12月8日(土)~22日(土)
会場:AIN SOPH DISPATCH
http://ainsophdispatch.org



2012年6月14日木曜日

アーティスト・濱田樹里


アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、第5回東山魁夷記念 日経日本画大賞展大賞を受賞された濱田樹里さんにお話を伺いました。

《伏す花》2007年、200×1680cm
  コバヤシ画廊での展示風景 撮影/末正真礼生
濱田さんの制作について、小学校高学年までいらっしゃったインドネシアでの体験やそこで培われた色彩感覚などがしばしば言われますが、帰国時にギャップはありましたか?

そのことを強く感じるようになったのは、作家活動を始めたころです。モチーフを探したり、モチーフと向かい合う時間が持てるようになり、独自性を求めるようになった時、自分自身の体験から作風を変えていこうと考え、現在の方向性にたどり着きました。美術を志したころは写実が好きで、実際の色を大切にして描いていましたが、大学院を修了するころに自分のテーマが決まり、そこでインドネシアでの体験や色彩が意識されるようになりました。

大学時代はどのような作品を描いていたのですか?

重厚感のある人物の群像です。やはり大きい作品を制作していました。色調はモノトーンに近く、墨や胡粉、箔を使って描いていました。

大学院を修了後、自分のスタイルで描こうと思った時、どのように変わられたのですか?

モチーフが変わりました。それまでは人物を描くことで生死観を表現してましたが、大学院を出るころには人物と植物と組み合わせることで、共存がテーマに。発表し始めるころには人物を画面から外し、鑑賞者に人物になっていただき、会場全体で共存というテーマが成り立つような感じになりました。その時に色彩も変化して現在のようになりました。

美術との出会いについて教えてください。

中学生のころは勉強も好きでしたが、答えがないものに魅力を感じて美術に惹かれました。それで県立旭丘高校美術科に入学。12年生で油絵、日本画、彫刻、デザインをひと通り学び、3年生で日本画を選択しました。彫刻も油絵も大好きでしたが、日本画の素材感というか岩絵具の粒子の土のような肌触りや色彩、それらが平面の中で構成される美しさが、将来的に自分のテーマとつながっていくんじゃないかという直感がありました。

濱田さんの作品にみられるダイナミックなうねりは、油絵具やアクリル絵具の方が描きやすいのでは?

たしかに油絵具やアクリル絵具の方が描きやすいですが、岩絵具の粒子感が大地そのものに近いというのが、私にとっての日本画の魅力です。岩絵具の粒子が画面に沈澱していくさまが、大地に雨が染み込むようでもあり、描くという私の動作そのものが、雨粒から川の流れをつくり出していくような感覚というか。赤い色合いも地層の堆積だったり地平線であったり、マグマのように見えるという方もいらっしゃいますが、描くという行為により、岩絵具の粒子でそういう動きをつくり出そうと意識しながら描いています。

日本画は写生から小下図、大下図と拡大させていきますが、濱田さんもそのようにして描くのですか?

ほとんど直接描いていきます。マジックやコンテで30cm幅ほどのエスキースはざっくり描きますが、それを拡大していくという作業はしません。私の作品は20mくらい幅があるので、画面を見ながらイメージが浮かんでくる瞬間に描いていきます。画面に向かう時はひいて構図を見ますが、近寄った時にまた違うものが見えてくることを自分で味わいながらイメージを作るので、小下図を拡大していく方法ではそこが難しいです。

20mもある大画面をどのように描かれるのですか?

何枚かに分割したパネルに、スライドさせながら描いていきます。アトリエではすべてを並べて描くことはスペース的に難しいので、頭の中でイメージを作り、それを信じて描いていきます。

大画面の作品をさらにコの字型に展示されることが多く、見る人は巨大な植物や地層の中に放り込まれるような感覚を覚えますが、空間的な展示にこだわっているのですか?

見る人にそういう感覚を持っていただきたくて、画廊で展示する時には、必ず鑑賞者を取り囲むようにコの字、もしくは360度に近い形に展示しています。

直接、影響を受けた作家はいますか?

特にこの方という人はいません。インドネシアにいた時に見た彫刻や絵画の重厚感や装飾 性、色みや形からの影響が大きいです。アジアの魅力が溢れていた反面、オランダの植民地だったことからヨーロッパ的で、どこにでも美術品があり、そういうものにも触れていました。

今後の展開についてどうお考えですか?

私は徐々に変わっていく方なので、最近では天と地が動くような、波のような羽のような流れが強くなってきています。そういうものが今後増えてくるかと思いますが、あらためて変えていこうとは思っていません。私が生まれて生きていく中で、自分自身の人生を絵にしていけば、ほかにないものをつくって残せるのではないかと。それが表現者の使命だと思います。

大学で教えるようになると制作の時間が制限されがちですが、濱田さんは着々と制作もされて評価が高まっているように思われます。

それまでは週にいくつか美術に関する仕事を掛け持ちしていましたが、大学教員になってからは、研究者であるという意識が生まれ、研究の機会を与えていただいているので実績を残したいという思いがあります。学生自身もある意味で研究者であってほしいので、シビアな関係でないとアトリエの空気は保てないですし、そういう姿勢で作家活動をしなければ学生には伝わらない事もあるのではと思います。
また、表現者として社会へ出て10年余りが過ぎ、たくさんの方々に支えられ続けることができました。その結果、少しずつ評価をいただけていると感謝致しております。今後も自分自身と向き合い制作していきたいと思います。

東海エリアのアートシーンについてどう思われますか?

美術に関心を持つ人が増えてほしいと思います。特別なものでなく、身近なものとして美術を楽しんで欲しいです。

濱田樹里 プロフィール
1973 インドネシア生まれ
1992 愛知県立旭丘高等学校美術科卒
1997 愛知県立芸術大学 美術学部日本画専攻卒業(卒業制作 買い上げ賞/桑原賞)
1999 愛知県立芸術大学大学院 美術研究科修了(修了制作 買い上げ賞)
2000 愛知県立芸術大学大学院 研修生修了
現在、名古屋造形大学専任講師、愛知県立芸術大学非常勤講師

個展
2002 すどう美術館(銀座)
2003 コバヤシ画廊(銀座) ※以後、現在まで同画廊で毎年開催
2006 ギャラリーIDF(名古屋) ※200720082011
   宮坂画廊(銀座) ※20072011
2007 ヒルトン名古屋 レストランシーズン(名古屋)
2008 潺画廊(駒沢)
2009 「根源の在処」濱田樹里展 現代美術の発見Ⅲテーマ展 あいちトリエンナーレ2010に向けて (愛知県美術館/名古屋)
2011 「生命の奔流」 濱田樹里展(一宮市三岸節子記念美術館/一宮)

主なグループ展
2000 第2回雄雄会日本画展(松坂屋/銀座・名古屋) ※以後、現在まで毎年出品
(2010.会場は松坂屋/銀座・名古屋、大丸/心斎橋)
   「岩絵具の可能性を求めてⅠ」(古川美術館/名古屋)
 2nd contemporary young painters exhibition from japan (バングラディシュ)
2003 5th contemporary young painters exhibition from japan (バングラディシュ)
2004 「岩絵具の可能性を求めてⅡ」(古川美術館/名古屋)
2005 「異色の日本画展」(ギャラリーIDF/名古屋)
2006  「様々な二ホン画」vol.1(アートスペース羅針盤/京橋)
SHIHENS」ラサ・サラ・ナランハギャラリー(スペイン/バレンシア)
2007 KIAF(ギャラリー坂巻ブース/韓国)
   第19回 香流会日本画小品展(松屋/銀座)
2008 第112008長湫会日本画展(高島屋/日本橋・名古屋)※~2010
   うづら会日本画展(三越/日本橋・名古屋)※以後、現在まで毎年出品
   第7回菅楯彦大賞展(高島屋/大阪倉吉博物館)
2009 長湫会選抜展(名都美術館/名古屋)20102011
   「日本画の今 若手作家の挑戦」(古川美術館/名古屋)
2010 第29回損保ジャパン美術財団選抜奨励展(損保ジャパン東郷青児美術館/新宿)
2012 VOCA展出品(上野の森美術館/東京)
 第5回東山魁夷記念 日経日本画大賞展


受賞暦
2009 名古屋市芸術奨励賞新人賞受賞
2012 第5回東山魁夷記念 日経日本画大賞展大賞

パブリックコレクション
高橋コレクション
平塚市美術館

2012年3月16日金曜日

古書 五っ葉文庫店主 古沢和宏


アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は今年1月に『痕跡本のすすめ』を上梓された古書 五っ葉文庫店主、古沢和宏さんにお話を伺いました。

書き込みがあったり、一部が切り取られていたりする古本のコレクターでもある古沢さん。それらを「痕跡本」と名づけ、ここ23年は「痕跡本」の展示やトークイベントでの活動が注目されていましたが、本を出版されるとは思っていませんでした。

東京のブックフェアで展示した「痕跡本」を、たまたま出版社の方が見てくださり、いろいろなことがうまく絡みあって出版に至ったという感じです。でも、いいのかなという気持ちもあります。というのは、古本にある書き込みなどは、昔から当たり前にあったもので、それらに関するエッセイを書かれている作家もいます。そういった古本の楽しみ方はもともとあったのに、あえて「痕跡本」という名前をつけて勝手なことをやってると思われているんじゃないかという心配もあります。

その古本や書き込みへの思いをつづったエッセイと、前の持ち主がこうだったんじゃないかと、痕跡からの妄想をキャプションにして展示したり、その妄想を語る古沢さんは、切り口が違うと思いますが。

だからいい形で受け止めてもらえたのかも。おかげさまで、朝日新聞と読売新聞にも書評が掲載されましたし、NHK「週刊ブックレビュー」でも紹介していただきました。古本の新たな楽しみ方として興味を持ってくださった方たちに、応援していただけていることをありがたく感じています。

読者からはどのような反響がありましたか?

一番うれしかったのは、この本を読んだ人がこれまで出会った「痕跡本」やそれらに対する思いをツイッターに書いていたことです。書き込みなどは古本には当たり前にあるものですが、それを指す言葉がなかったために話をする機会がなく、個々人の気持ちの中だけで終わっていた。それが「痕跡本」というキーワードによって、引きずり出されたというか。要求はあってもうまい言葉がなかったところに「痕跡本」という言葉がうまくはまったのかなと思います。

一昔前は芥川賞や直木賞を受賞した作品は広く読まれていたし、文学全集は押さえておくという時代でしたが、共通の話題として本が成立しない時代になってきています。読書会が人気なのも本を話題にして話したいという要求の表れのように気がします。

最近は本についての普遍的な話題が減っていますが、本について話したいという人が少なくないと思うんです。読書会もですが、一箱古本市が流行っているのもそういうニーズからだと思います。物を売り買いする場面では、コミュニケーションが生まれやすい。売る側は本棚から選んだオススメ本を並べるわけで、そこにはその本に興味を持ってくれる人と話をしたいという気持ちもあると思うんです。市ではその本に惹かれた人が足を留めるわけですから、そこから本についての話が広がることも。

226日のトークイベントで進行役を務めたSCHOPの編集長が、「痕跡本」がここまでの広がりを見せたのは、アートの文脈を捨てたからだとおっしゃっていましたが

「痕跡本」の展示は、2003年に初めて行いましたが、それが名古屋芸術大学アート&デザインセンターでのグループ展「MP展」、2回目が06年のアートフェチでのグループ展「Fetish and Bookish」で、これがアートの文脈で発表した最後です。08年のブックマークナゴヤでの展示が3回目になりますが、この時「痕跡本」という名前を考えつき、「痕跡本フェア」として展示。「~展」ではなく「~フェア」としたのは、「ビジネス書フェア」のように「痕跡本」を本のジャンルを表す言葉として捉えてもらいたかったから。アートの文脈から離れることにより広がりが出て、古本の楽しみ方として提示できるのではないかと考えたからです。

アートの文脈からは離れられましたが、古本の痕跡から妄想を巡らせて本との関係を楽しむという発想は、アートをやってきた人だからこその視点ではないでしょうか?

そうだと思います。美大での授業はほとんど覚えていませんが、美大で学んだことは「ものの見方」と「ものの考え方」。じつは学生の頃、やりたかった展覧会が2つあったんです。一つは学内のギャラリーに作品を何も置かず、展示室の壁を見せようというもの。その壁は汚いのですが、それはそこでさまざまな展示が行われた証であり、まさに痕跡。そこからこれまで行われた展示に思いを馳せてもらおうと。もう一つは「歴戦の覇者」というタイトル。駐車場でたまにやたらぶつけられてる柱とかありますよね。それが、なぜぶつけられながらも立ち続けるのかみたいなところを見せたかった。ものの歴史や記憶を汲み取るようなことに興味があったんです。

どちらも「痕跡本」と同じ構造ですね。

今と同じですね。たまたまそれが本になったというだけで、やってることは変わってない。僕はもともと本が好きだし、普遍性や広がりを考えて、本に移行していったという感じです。

4月から長者町でも古書 五っ葉文庫を開業されるそうですね。

これまでに多くの展覧会をオーガナイズしてきたアートユニットN-markが運営に関わる「長者町トランジットビル(仮)」が、アーティストやクリエイターの共同スタジオ、ギャラリーとして4月下旬にオープン予定で、その1階がカフェスペースとなるのですが、向かいの書棚スペースを利用して五っ葉文庫を展開することになりました。34日より犬山のキワマリ荘での営業も再開。キワマリ荘はしばらくクローズ状態でしたが、5月のリニューアルオープンに向けて準備中です。

現在の「痕跡本」ブームをどう考えられますか?

「痕跡本」という言葉が一人歩きをして、当たり前の言葉になってくれたらいいと思います。そういう価値観のようなものが根付くためのキーワードになれば、古本を見るのも楽しくなるし、知らない本でも買いやすくなります。「痕跡本」をキーワードに、未知な本を手に取る機会が増え、宝探しのような気分で本との出会いが広がるといいなと思います。


古沢和宏プロフィール
1979年滋賀県生まれ。愛知県在住。「古書五っ葉文庫」店主


~『痕跡本のすすめ』発刊記念トークライヴ~「知られざる痕跡本の世界」
日時:321日(水)19:00
会場:TOKUZO
料金:500
案内人:古沢和宏(古書五っ葉文庫店主)
聞き手:大竹敏之(名古屋サブカルライター)、森田裕(TOKUZO

古書 五っ葉文庫
愛知県犬山市犬山薬師町11-4 キワマリ荘1
Tel090-4195-2851
e-mailclover4403@yahoo.co.jp
13:0019:00日曜日のみ営業(平日その他に予約オープンも可。詳しくはお問い合わせ下さい)