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2012年6月14日木曜日

アーティスト・濱田樹里


アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、第5回東山魁夷記念 日経日本画大賞展大賞を受賞された濱田樹里さんにお話を伺いました。

《伏す花》2007年、200×1680cm
  コバヤシ画廊での展示風景 撮影/末正真礼生
濱田さんの制作について、小学校高学年までいらっしゃったインドネシアでの体験やそこで培われた色彩感覚などがしばしば言われますが、帰国時にギャップはありましたか?

そのことを強く感じるようになったのは、作家活動を始めたころです。モチーフを探したり、モチーフと向かい合う時間が持てるようになり、独自性を求めるようになった時、自分自身の体験から作風を変えていこうと考え、現在の方向性にたどり着きました。美術を志したころは写実が好きで、実際の色を大切にして描いていましたが、大学院を修了するころに自分のテーマが決まり、そこでインドネシアでの体験や色彩が意識されるようになりました。

大学時代はどのような作品を描いていたのですか?

重厚感のある人物の群像です。やはり大きい作品を制作していました。色調はモノトーンに近く、墨や胡粉、箔を使って描いていました。

大学院を修了後、自分のスタイルで描こうと思った時、どのように変わられたのですか?

モチーフが変わりました。それまでは人物を描くことで生死観を表現してましたが、大学院を出るころには人物と植物と組み合わせることで、共存がテーマに。発表し始めるころには人物を画面から外し、鑑賞者に人物になっていただき、会場全体で共存というテーマが成り立つような感じになりました。その時に色彩も変化して現在のようになりました。

美術との出会いについて教えてください。

中学生のころは勉強も好きでしたが、答えがないものに魅力を感じて美術に惹かれました。それで県立旭丘高校美術科に入学。12年生で油絵、日本画、彫刻、デザインをひと通り学び、3年生で日本画を選択しました。彫刻も油絵も大好きでしたが、日本画の素材感というか岩絵具の粒子の土のような肌触りや色彩、それらが平面の中で構成される美しさが、将来的に自分のテーマとつながっていくんじゃないかという直感がありました。

濱田さんの作品にみられるダイナミックなうねりは、油絵具やアクリル絵具の方が描きやすいのでは?

たしかに油絵具やアクリル絵具の方が描きやすいですが、岩絵具の粒子感が大地そのものに近いというのが、私にとっての日本画の魅力です。岩絵具の粒子が画面に沈澱していくさまが、大地に雨が染み込むようでもあり、描くという私の動作そのものが、雨粒から川の流れをつくり出していくような感覚というか。赤い色合いも地層の堆積だったり地平線であったり、マグマのように見えるという方もいらっしゃいますが、描くという行為により、岩絵具の粒子でそういう動きをつくり出そうと意識しながら描いています。

日本画は写生から小下図、大下図と拡大させていきますが、濱田さんもそのようにして描くのですか?

ほとんど直接描いていきます。マジックやコンテで30cm幅ほどのエスキースはざっくり描きますが、それを拡大していくという作業はしません。私の作品は20mくらい幅があるので、画面を見ながらイメージが浮かんでくる瞬間に描いていきます。画面に向かう時はひいて構図を見ますが、近寄った時にまた違うものが見えてくることを自分で味わいながらイメージを作るので、小下図を拡大していく方法ではそこが難しいです。

20mもある大画面をどのように描かれるのですか?

何枚かに分割したパネルに、スライドさせながら描いていきます。アトリエではすべてを並べて描くことはスペース的に難しいので、頭の中でイメージを作り、それを信じて描いていきます。

大画面の作品をさらにコの字型に展示されることが多く、見る人は巨大な植物や地層の中に放り込まれるような感覚を覚えますが、空間的な展示にこだわっているのですか?

見る人にそういう感覚を持っていただきたくて、画廊で展示する時には、必ず鑑賞者を取り囲むようにコの字、もしくは360度に近い形に展示しています。

直接、影響を受けた作家はいますか?

特にこの方という人はいません。インドネシアにいた時に見た彫刻や絵画の重厚感や装飾 性、色みや形からの影響が大きいです。アジアの魅力が溢れていた反面、オランダの植民地だったことからヨーロッパ的で、どこにでも美術品があり、そういうものにも触れていました。

今後の展開についてどうお考えですか?

私は徐々に変わっていく方なので、最近では天と地が動くような、波のような羽のような流れが強くなってきています。そういうものが今後増えてくるかと思いますが、あらためて変えていこうとは思っていません。私が生まれて生きていく中で、自分自身の人生を絵にしていけば、ほかにないものをつくって残せるのではないかと。それが表現者の使命だと思います。

大学で教えるようになると制作の時間が制限されがちですが、濱田さんは着々と制作もされて評価が高まっているように思われます。

それまでは週にいくつか美術に関する仕事を掛け持ちしていましたが、大学教員になってからは、研究者であるという意識が生まれ、研究の機会を与えていただいているので実績を残したいという思いがあります。学生自身もある意味で研究者であってほしいので、シビアな関係でないとアトリエの空気は保てないですし、そういう姿勢で作家活動をしなければ学生には伝わらない事もあるのではと思います。
また、表現者として社会へ出て10年余りが過ぎ、たくさんの方々に支えられ続けることができました。その結果、少しずつ評価をいただけていると感謝致しております。今後も自分自身と向き合い制作していきたいと思います。

東海エリアのアートシーンについてどう思われますか?

美術に関心を持つ人が増えてほしいと思います。特別なものでなく、身近なものとして美術を楽しんで欲しいです。

濱田樹里 プロフィール
1973 インドネシア生まれ
1992 愛知県立旭丘高等学校美術科卒
1997 愛知県立芸術大学 美術学部日本画専攻卒業(卒業制作 買い上げ賞/桑原賞)
1999 愛知県立芸術大学大学院 美術研究科修了(修了制作 買い上げ賞)
2000 愛知県立芸術大学大学院 研修生修了
現在、名古屋造形大学専任講師、愛知県立芸術大学非常勤講師

個展
2002 すどう美術館(銀座)
2003 コバヤシ画廊(銀座) ※以後、現在まで同画廊で毎年開催
2006 ギャラリーIDF(名古屋) ※200720082011
   宮坂画廊(銀座) ※20072011
2007 ヒルトン名古屋 レストランシーズン(名古屋)
2008 潺画廊(駒沢)
2009 「根源の在処」濱田樹里展 現代美術の発見Ⅲテーマ展 あいちトリエンナーレ2010に向けて (愛知県美術館/名古屋)
2011 「生命の奔流」 濱田樹里展(一宮市三岸節子記念美術館/一宮)

主なグループ展
2000 第2回雄雄会日本画展(松坂屋/銀座・名古屋) ※以後、現在まで毎年出品
(2010.会場は松坂屋/銀座・名古屋、大丸/心斎橋)
   「岩絵具の可能性を求めてⅠ」(古川美術館/名古屋)
 2nd contemporary young painters exhibition from japan (バングラディシュ)
2003 5th contemporary young painters exhibition from japan (バングラディシュ)
2004 「岩絵具の可能性を求めてⅡ」(古川美術館/名古屋)
2005 「異色の日本画展」(ギャラリーIDF/名古屋)
2006  「様々な二ホン画」vol.1(アートスペース羅針盤/京橋)
SHIHENS」ラサ・サラ・ナランハギャラリー(スペイン/バレンシア)
2007 KIAF(ギャラリー坂巻ブース/韓国)
   第19回 香流会日本画小品展(松屋/銀座)
2008 第112008長湫会日本画展(高島屋/日本橋・名古屋)※~2010
   うづら会日本画展(三越/日本橋・名古屋)※以後、現在まで毎年出品
   第7回菅楯彦大賞展(高島屋/大阪倉吉博物館)
2009 長湫会選抜展(名都美術館/名古屋)20102011
   「日本画の今 若手作家の挑戦」(古川美術館/名古屋)
2010 第29回損保ジャパン美術財団選抜奨励展(損保ジャパン東郷青児美術館/新宿)
2012 VOCA展出品(上野の森美術館/東京)
 第5回東山魁夷記念 日経日本画大賞展


受賞暦
2009 名古屋市芸術奨励賞新人賞受賞
2012 第5回東山魁夷記念 日経日本画大賞展大賞

パブリックコレクション
高橋コレクション
平塚市美術館

2012年3月16日金曜日

古書 五っ葉文庫店主 古沢和宏


アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は今年1月に『痕跡本のすすめ』を上梓された古書 五っ葉文庫店主、古沢和宏さんにお話を伺いました。

書き込みがあったり、一部が切り取られていたりする古本のコレクターでもある古沢さん。それらを「痕跡本」と名づけ、ここ23年は「痕跡本」の展示やトークイベントでの活動が注目されていましたが、本を出版されるとは思っていませんでした。

東京のブックフェアで展示した「痕跡本」を、たまたま出版社の方が見てくださり、いろいろなことがうまく絡みあって出版に至ったという感じです。でも、いいのかなという気持ちもあります。というのは、古本にある書き込みなどは、昔から当たり前にあったもので、それらに関するエッセイを書かれている作家もいます。そういった古本の楽しみ方はもともとあったのに、あえて「痕跡本」という名前をつけて勝手なことをやってると思われているんじゃないかという心配もあります。

その古本や書き込みへの思いをつづったエッセイと、前の持ち主がこうだったんじゃないかと、痕跡からの妄想をキャプションにして展示したり、その妄想を語る古沢さんは、切り口が違うと思いますが。

だからいい形で受け止めてもらえたのかも。おかげさまで、朝日新聞と読売新聞にも書評が掲載されましたし、NHK「週刊ブックレビュー」でも紹介していただきました。古本の新たな楽しみ方として興味を持ってくださった方たちに、応援していただけていることをありがたく感じています。

読者からはどのような反響がありましたか?

一番うれしかったのは、この本を読んだ人がこれまで出会った「痕跡本」やそれらに対する思いをツイッターに書いていたことです。書き込みなどは古本には当たり前にあるものですが、それを指す言葉がなかったために話をする機会がなく、個々人の気持ちの中だけで終わっていた。それが「痕跡本」というキーワードによって、引きずり出されたというか。要求はあってもうまい言葉がなかったところに「痕跡本」という言葉がうまくはまったのかなと思います。

一昔前は芥川賞や直木賞を受賞した作品は広く読まれていたし、文学全集は押さえておくという時代でしたが、共通の話題として本が成立しない時代になってきています。読書会が人気なのも本を話題にして話したいという要求の表れのように気がします。

最近は本についての普遍的な話題が減っていますが、本について話したいという人が少なくないと思うんです。読書会もですが、一箱古本市が流行っているのもそういうニーズからだと思います。物を売り買いする場面では、コミュニケーションが生まれやすい。売る側は本棚から選んだオススメ本を並べるわけで、そこにはその本に興味を持ってくれる人と話をしたいという気持ちもあると思うんです。市ではその本に惹かれた人が足を留めるわけですから、そこから本についての話が広がることも。

226日のトークイベントで進行役を務めたSCHOPの編集長が、「痕跡本」がここまでの広がりを見せたのは、アートの文脈を捨てたからだとおっしゃっていましたが

「痕跡本」の展示は、2003年に初めて行いましたが、それが名古屋芸術大学アート&デザインセンターでのグループ展「MP展」、2回目が06年のアートフェチでのグループ展「Fetish and Bookish」で、これがアートの文脈で発表した最後です。08年のブックマークナゴヤでの展示が3回目になりますが、この時「痕跡本」という名前を考えつき、「痕跡本フェア」として展示。「~展」ではなく「~フェア」としたのは、「ビジネス書フェア」のように「痕跡本」を本のジャンルを表す言葉として捉えてもらいたかったから。アートの文脈から離れることにより広がりが出て、古本の楽しみ方として提示できるのではないかと考えたからです。

アートの文脈からは離れられましたが、古本の痕跡から妄想を巡らせて本との関係を楽しむという発想は、アートをやってきた人だからこその視点ではないでしょうか?

そうだと思います。美大での授業はほとんど覚えていませんが、美大で学んだことは「ものの見方」と「ものの考え方」。じつは学生の頃、やりたかった展覧会が2つあったんです。一つは学内のギャラリーに作品を何も置かず、展示室の壁を見せようというもの。その壁は汚いのですが、それはそこでさまざまな展示が行われた証であり、まさに痕跡。そこからこれまで行われた展示に思いを馳せてもらおうと。もう一つは「歴戦の覇者」というタイトル。駐車場でたまにやたらぶつけられてる柱とかありますよね。それが、なぜぶつけられながらも立ち続けるのかみたいなところを見せたかった。ものの歴史や記憶を汲み取るようなことに興味があったんです。

どちらも「痕跡本」と同じ構造ですね。

今と同じですね。たまたまそれが本になったというだけで、やってることは変わってない。僕はもともと本が好きだし、普遍性や広がりを考えて、本に移行していったという感じです。

4月から長者町でも古書 五っ葉文庫を開業されるそうですね。

これまでに多くの展覧会をオーガナイズしてきたアートユニットN-markが運営に関わる「長者町トランジットビル(仮)」が、アーティストやクリエイターの共同スタジオ、ギャラリーとして4月下旬にオープン予定で、その1階がカフェスペースとなるのですが、向かいの書棚スペースを利用して五っ葉文庫を展開することになりました。34日より犬山のキワマリ荘での営業も再開。キワマリ荘はしばらくクローズ状態でしたが、5月のリニューアルオープンに向けて準備中です。

現在の「痕跡本」ブームをどう考えられますか?

「痕跡本」という言葉が一人歩きをして、当たり前の言葉になってくれたらいいと思います。そういう価値観のようなものが根付くためのキーワードになれば、古本を見るのも楽しくなるし、知らない本でも買いやすくなります。「痕跡本」をキーワードに、未知な本を手に取る機会が増え、宝探しのような気分で本との出会いが広がるといいなと思います。


古沢和宏プロフィール
1979年滋賀県生まれ。愛知県在住。「古書五っ葉文庫」店主


~『痕跡本のすすめ』発刊記念トークライヴ~「知られざる痕跡本の世界」
日時:321日(水)19:00
会場:TOKUZO
料金:500
案内人:古沢和宏(古書五っ葉文庫店主)
聞き手:大竹敏之(名古屋サブカルライター)、森田裕(TOKUZO

古書 五っ葉文庫
愛知県犬山市犬山薬師町11-4 キワマリ荘1
Tel090-4195-2851
e-mailclover4403@yahoo.co.jp
13:0019:00日曜日のみ営業(平日その他に予約オープンも可。詳しくはお問い合わせ下さい)

2011年12月15日木曜日

アーティスト・鈴木雅明


アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回はアートラボあいち1Fに作品を展示中の鈴木雅明さんにお話を伺いました。
 
鈴木雅明 《無題》 キャンバス・油彩、2011年
アートとの出会いについて教えてください。

子どもの頃から絵を描くことが好きでした。しかしそれはアートとして絵を描くというよりもマンガを読んだりゲームをしたりするのと同じような感覚のものだったと思います。
アートを意識するようになったのはもっとずっと後で大学に入ってからだと思います。中村英樹先生の講義で白髪一雄が綱にぶら下がって汗だくで足で絵を描いている映像を見たときの強烈な印象が本当の意味でのアートとの出会いだったと思います。

夜の街角の情景を描いた作品で注目されましたが夜の街を描くようになったのはなぜですか?

僕は大学で洋画コースに在籍していました。2年生までは課題があってそれを一生懸命こなすという感じでしたが
3年生になってからは自由課題という何をやっても良いという課題に変わりました。
そこで何を描こうかいろいろ考えたのですが結局何も描くものが見つからず、彫刻コースで粘土や樹脂を触らせてもらったり、商店街のアートイベントを手伝ったりしていました。
そして作品らしい作品を作れないまま卒業制作の時期が来て、それでも自分は絵が描きたくて絵を描くことにしました。しかしやはり何を描いたらいいのかがさっぱりわかりません。そこでいろいろなものを写真に撮ってそれを見ながら描けば描けるのではと思い身近な風景を写真に撮ってそれを見ながら描くようになりました。制作を進めていく中で夜に撮影した写真を見ながら描いたものがありました。昼間に撮影する写真とは違って夜写真を撮ろうとするとどうしてもブレたりボケたりしてしまってうまく撮ることができません。しかし輪郭や形が曖昧になったイメージは絵の中で自由に輪郭や形を決めることができ、僕にとってはとても描きやすいイメージでした。
夜の街の風景を描いているのでロマンチックとか寂しい、街灯の光が希望の光に見えるといった感想を頂くことが多かったのですが僕自身はそういう感情を持って制作したことは一度もありません。
むしろイメージに対してはもっとクールというか、感情移入するのではなく夜景はあくまでも絵を描くためのイメージのひとつと考えています。

2005年に第4回夢広場はるひ絵画ビエンナーレで夢広場はるひ大賞、若手平面作家の登竜門といわれるシェル美術賞2005でグランプリを受賞されたことは鈴木さんの制作活動にどのような影響がありましたか?

2005年は大学院に行くための費用を貯めるためにアルバイトをしながら絵を描いていました。大学を出てからの制作は締め切りも講評会もないので制作のペースが乱れることがあって一つの区切りとしてコンクールに出品するようにしていました。受賞が直接何かにつながったということはありませんでしたが受賞後しばらくは新聞、雑誌などで広報していただく機会が増えたと思います。
大学院の学費を賞金でまかなえたことが一番嬉しかったです。

最近、作風をがらりと変えられたのはなぜですか?

夜景の作品を描きはじめて5年くらい経つのですが、なかなか作品を展開させることができずにいました。夜景じゃなく昼間や朝の日差しを描くということも考えましたがイメージを変えるだけでは作品が前進したことにはならないんじゃないかと思いました。そしてイメージをあらわすだけならば写真やCGなど他のメディアでも良いわけで絵画はそれだけで進めていけるものではないのかなという気がしています。
見る人に作風ががらりと変わった印象を与えるのは今の作品が夜景の仕事とかなり見た印象が違うからだと思います。しかし僕の中では今までの作品とも繋がっていて必然性を持って制作しています。まだ試行錯誤している段階でこれからも作品は変わっていくと思います。

木々の枝や、木の葉を揺らす風、木漏れ日がのびやかなストロークで表現されていますが鈴木さんが制作する上でいま大切にしたいことは何ですか?

僕が今まで制作してきた夜景の作品では写真をベースにしていることもあり、最初に描くイメージが大方決まっていました。しかし今制作している作品では描くイメージを先に持つのではなく、描くことの積み重ねの中からイメージを探ろうとしています。ストロークが枝や木に見えてきて、それで木や枝を描いたものが多くなっていますが本当は描くものは何だって良かったのです。描くということを大切にして制作をしていきたいと思っています。

鈴木さんが運営メンバーとして関わるアーティストランの展示スペース、GALLERY GOHONがオープンして1年経ちましたが、スペースの運営は鈴木さんの制作にどんな影響がありましたか?

GALLERY GOHON201011月にオープンして1年経ちました。2年間限定のプロジェクトなのですでに半分の期間が過ぎました。1年の間にもたくさんの作家さんや美術に関係している方々が訪れて下さり今後も制作活動を続けていく上で大きな刺激をいただきました。それは僕だけではなくGOHONのメンバー全員に言えると思います。
作品制作にダイレクトに影響したというよりも考え方や制作に取り組む姿勢など作家として活動を続けていく上での影響の方が大きかったです。

アートラボあいち1Fスペースでの作品展示やGOHONでの個展、masayoshi suzukiギャラリーでのグループ展と発表の機会がここのところ重なりましたが来年はどのように展開していきたいですか?

今のところ展示の予定もあまりないので、発表を前提に制作するというよりは今回の一連の展示での作品の問題点や展開などをじっくり探りながら制作できればと思います。

東海のアートシーンについてどう思われますか?

今まで愛知に住みながら制作してきましたが愛知のアートシーンに触れる機会があまりなかったので正直よくわかりません。でもGOHONに来てくれる作家さんや学生さんなどと話しをしたり展示を見に行ったりする中で良い作品を着実に作り続けている作家さんがたくさんいるなぁという印象を持ちました。あとあいちトリエンナーレの影響もとても大きいと思います。アートラボあいちなど若い作家が発表できる機会も増えてきていて僕が大学に入った頃よりも活気があるように思います。


■鈴木雅明プロフィール

1981 愛知県生まれ
2004 名古屋造形芸術大学 洋画コース卒業
2006 第21回 ホルベインスカラシップ 奨学者
2008 愛知県立芸術大学大学院 美術研究科修了

主な個展
2006 ギャラリーセラー (愛知)
2006 はるひ美術館 (愛知)
2007 Bunkamura Gallery (東京)
2008 ギャラリーセラー (愛知)
2008 Bunkamura Gallery (東京)
2009 ギャラリーセラー (東京)
2010 松坂屋本店 美術画廊 (愛知)
2011 GALLERY GOHON(愛知)

主なグループ展
2004 シェル美術賞展2004 (代官山ヒルサイドフォーラム / 東京)
2005 第4回 夢広場はるひ絵画ビエンナーレ (はるひ美術館 / 愛知)
2005 シェル美術賞展2005 (代官山ヒルサイドフォーラム / 東京)
2005 fine ship (名古屋市民ギャラリー矢田 / 愛知)
2006 名古屋市美術館特別展  「名古屋」の美術 -これまでとこれから- (名古屋市美術館 / 愛知)
2007 第26回 損保ジャパン美術財団選抜奨励展(損保ジャパン東郷青児美術館 / 東京)
2009 第1回 青木繁記念大賞西日本美術展 (石橋美術館 / 福岡)
2009 あいちアートの森 広小路プロジェクト (SMBCパーク栄 / 愛知)
2010 MEETING 2010 (清須市はるひ美術館 / 愛知)
2010 GALLERY GOHON OPENING EXHIBITION (GALLERY GOHON / 愛知)
2011 AICHI GENE -some floating affairs- (豊田市美術館 展示室9 / 愛知)
2011 ART LINE 01 (masayoshi suzuki gallery / 愛知)

受賞
2005年 第4回 夢広場はるひ絵画ビエンナーレ 夢広場はるひ大賞
2005年 シェル美術賞2005 グランプリ
2007年 第26回 損保ジャパン美術財団選抜奨励展 秀作賞


■展覧会情報
ALA Project No.5 鈴木雅明
会期:開催中~12月25日(日)11:00~19:00 月・火曜日休館
会場:アートラボあいち1F
http://www.artlabaichi.com/


2011年9月16日金曜日

アーティスト・ジャンボスズキ

アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、2人展が開催中でアートラボあいちにも作品を展示中のアーティスト、ジャンボスズキさんにお話をうかがいました。


アートとの出会いを教えてください
子供の頃から絵を描くのは好きでした。でもそれは落書きみたいなもので、高校の美術の授業で初めて油絵を描きました。初めて使った油絵具が「なんだ、これは!」というくらい衝撃的でした。

美大を受験しようと思ったのはなぜですか?
僕の高校は就職する人が多く、でも就職したくないなあと進学を検討するうちに美大に行きたいなあと。でも美大に行けるとは思っていませんでした。建築系の専門学校に進学する人はいましたが、美大に進んだのはおそらく僕が初めて。卒業後しばらくは本を見てデッサンを練習していましたが、周りと比べたことがなく、自分が置かれている状況がわかりませんでした。1浪して受けた美大の入試で、ほかの人がいるところで絵を描いてみて自分の実力を思い知り、そこから予備校へ行きました。

See Saw gallery+cafeで二人展をされている長谷川繁さんは大学の恩師ですよね?
2年生の時、授業で出会いました。本格的に教わったのは3年生の時ですが、長谷川さんの存在は、僕の展開に大きな影響力を及ぼしたと思います。授業に「1000本ドローイング」とうのがあったのですが、SeeSawに展示したドローイングはその時に描いた作品です。


作品に影響を受けていると思うところはありますか?
自分では長谷川さんと似てると思ったことはありませんが、今回も並べてみたら違和感がありませんでした。長谷川さんとは距離が近いので、あえて作品が影響されないように意識しています。でも、似てると言われることに嫌な気はしません。

どのように絵をつくっていくのですか?
時期によって微妙に違いますが、ドローイングをもとにしているのは一貫しています。紙などに描きなぐった中から出てきたモチーフから構築していきます。最近では、まず頭の中でドローイングをしてから、いけそうだったら手で描いてみて、そこからいきなりキャンバスに描いていきます。途中でかなり変わっていきますが、そこがかえっておもしろいです。
自分としては描く物の質感が重要で、その物本来の質感というより絵の中での質感が大事なので、納得いくまで描き続けます。たとえば、生肉にしてもパンにしても描く時に写真を見ることはありますが、忠実に再現しません。きっかけにするだけで、「肉はこうだ」という自分がイメージする質感を表現します。

山が生肉だったり、雲がパンだったりと、身近なモチーフがしばしば思いがけないイメージになって描かれていますね
具体的な物を描く時は一般的で誰もがわかる物を心がけますが、固有名詞がある物はそこからイメージが広がりにくいので避けています。誰でもわかる物を描きながらも、わかりやすい絵は描きたくないと思っています。生肉を山にしたのは、その形がおもしろいと思ったからです。

今回アートラボあいちに展示された作品の見どころについて教えてください
《連山》は、OJUNさんの企画で現代ハイツというギャラリーで発表したもの。これは拝戸さんが選ばれましたが、もう一枚の《モーニング・セット》は《連山》だけで大丈夫か心配で、念のために持ってきた作品です。《連山》とのバランスを考えて自分で選びました。見る人にはどう見ていただいてもいいですが、ただ「山だな」とそこで止まってしまうのではなくて、作品から自由にイメージを広げてほしいです。それを僕にフィードバックしてくれると、今後の展開をそこから考えることができるのでうれしいです。

スズキさんが絵を描き続けているのはなぜですか?
描き始めたばかりなので、まだまだ未知の領域があるんじゃないかと。本当はさらっと描いた作品が好きなのですが、これでもかと描いてしまい、なかなかさらっと終わらせられないのは、まだその域まで到達していないからだと思います。

See Sawでの後期展示が9/13から始まりましたね
100号の新作を展示するのでそれを見てほしいです。トヨタアートコレクションとなっている《冠婚葬祭》の延長上にある作品です。

東海のアートシーンについてどう思われますか?
名古屋で活動している同世代の友人達は自主運営のスペースを作ったり、後輩の学生はさまざまな人に呼びかけて、一つの大きな展示を企画したりしています。若い人達がアートシーンに対して、積極的に働きかけていると思います。


■ジャンボスズキ プロフィール
1980年 東京都に生まれる
2007年 名古屋造形大学美術学科卒業

【グループ展】
2005年「百花繚乱」BOICE PLANNING(神奈川)
2007年「アウトレンジ 2007」文房堂ギャラリー(東京)
2008年「DRAWING」TIME&STYLE MIDTOWN(東京)
   「VOCA展 2008」上野の森美術館(東京)
   「生まれつつある現在 2008 −5人の作家によるー」文房堂ギャラリー(東京)
   「ART man」豊田市美術館(愛知)
   「THE NEXT」Gallery Stump Kamakura(神奈川)
   「99人展」名古屋市民ギャラリー矢田(愛知)
2009年「名古屋造形同窓会40周年記念展」名古屋市民ギャラリー矢田(愛知)
   「echo」文房堂ギャラリー(東京)
   「アテンプト2/Attempt」カスヤの森現代美術館(神奈川)
2010年「ショコラ・デル・トロ・フチュウ」LOOP HOLE(東京)
   「node vol.1」東京造形大学内 学生運営 gallery node(東京)
   「群馬青年ビエンナーレ 2010」群馬県立近代美術館(群馬)
   「千代かИван」現代HEIGHTS(東京)
   「LOVE CALL」KICHIO GARAGE(神奈川)
   「TDW-ART ジャラパゴス展」(東京)
2011年「Art in an Office 印象派・近代日本画から現代絵画まで」豊田市美術館(愛知)
   「Art for Tomorrow」tokyo wonder site shibuya(東京)
   「ジャンボスズキ × 長谷川繁」gallery+cafe see saw(愛知)

【個展】
2011年「Mille Lacs Lake」LOOP HOLE(東京)
   「ALAプロジェクト1」ART LAB AICHI(愛知)

【その他】
2008年 横浜アート&ホームコレクション(神奈川)
2010年 アート天国「虎の巻」2010(東京)
2011年 ART TAIPEI 2011(台北)

■展覧会情報
ジャンボスズキ × 長谷川繁
会期/開催中~10月15日(土) 12:00-17:00、12:00-19:00(金・土) 日・月休
会場/See Saw gallery+cafe(名古屋市瑞穂区蜜柑山町2-29)
※9月17日(土)15:00~アーティストトーク、参加費500円(ワンドリンク付)、要申し込み
詳細は→http://www.cafe-see-saw.com


2011年6月15日水曜日

アーティスト・近藤サヨコ

アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、来月に個展を控えたアーティストの近藤サヨコさんにお話を うかがいました。

アートとの出会いを教えてください

子供の頃からキャラクターやマンガのような絵をよく描いていました。絵を描くことは好きだったけれど、高校は普通科へ。高校の時は美術といえば絵か彫刻という認識しかなく、日本画を描く時に水彩でデッサンをするのが好きだったので、美術短大の日本画コースへ進学しました。

映像に興味を持ったきっかけはなんですか?

短大を卒業後、四大の総合造形コースへ編入。短大では映像部に所属し、そこで初めて映像も美術だと知りました。今ほど携帯やデジカメが発達していなかったので、自分で撮影、パソコンで編集して作品ができるのがとても新鮮でした。

自作の人形をセットで撮影されていますが、どんなこだわりからそのようにされているのですか?

最初は友達に出てもらったりして、人形は使っていませんでした。今のスタイルになったのは大学4年生くらいから。友達だと何度も撮り直すのも申し訳ないし、海のシーンを撮りたくても、海に行くのは大変。人形だったら疲れないし、セットをつくれば思い通りに撮影できるかと。
また、球体関節の人形に興味を持っていたというのもあります。大学に入った頃に四谷シモンの作品を知り、こんなにカッコいい世界があるんだと。その時は人形を自作しようとは思いませんでしたが、それと自分の作品を組み合わせたら自分の好きな世界観を表現できるのではと思っていました。

物語はどのように発想されるのですか?

ストーリーをつくり、それに合わせて人形やセットを製作し、撮影をして、映像ができてから音楽や効果音を付けています。自分で脚本を書くのは映像部に入った短大1年生の頃から。当時はエログロに憧れていたのでそういう要素もありましたが(笑)、薄暗くてじめっとした感じは変わりません。太宰治や横溝正史、江戸川乱歩、泉鏡花の小説の影があり耽美ではかない世界観も好きでした。
私は育った新興住宅街にはそういうものがなく、父母の実家も都会だったので、漠然と田舎の村や鳥居のある風景の薄暗さや怖さに憧れがあって。だから横溝正史が描く、閉塞感のある村や孤島の暗くて怖い感じに憧れがありました。
物語は、生活の中で美しいとか面白いとかちょっと心に引っ掛かったこと、たとえばミツバチの生態とか青いバラができないこととか、そういうものを普段からメモしています。映画のようにこのシーンを撮りたいと思う時もあります。そういったものをつなげて1つのストーリーにしていきます。私自身が一からオリジナルでつくるのではなく、キーワードをつなげている感じです。

作品をとおして表現したいことは?

「戦争反対」とか「アートで世界が変えられたら」とか、そういうことは思いつきません。私の作品が何かを変えられたり影響力を持つとは思えないからです。私にとっての作品は日記のようなものです。昔の作品を見ると、自分だけにその時考えていたことがわかるというか。日記を人に公開している感じでしょうか。

見る人にこう考えてもらえたらとかありますか?

たとえば月を見ると「きれい」と思いますが「きれいすぎて怖い」とも思います。作品ではその怖い方を増幅させて、ニ面性のマイナスの方を見せたいです。
私は自分が楽しむために制作しています。他の人に伝えるためにと思えることはすごいと思いますが、「戦争反対」とか言えないし、それを伝えるメッセージが私の作品にあるとは思えません。あくまでも私的なものの見方や、感じ方を見ていただければ、できたら共感していただければと思います。

来月の個展ついて教えてください

新作はどれも物を集める話です。私自身、物が捨てられないし、ひととおり集めたい方で、たとえばフェルトで何かつくりたいと思うと全色集めて、それだけで満足し何もつくらなかったり。自分の好きなものに囲まれていると安心します。人のアイデンティティは持ち物によっても決まってくると思います。捨てることは業が深い。でも集めるだけで安心してしまうのも業が深い。そこを増幅させて物語をつくりました。

東海のアートシーンについて

ここに行ったらいつも面白いことをやっているという場所がないように思います。個々の展覧会は面白くても、「名古屋の現代美術ならここ」というような、いつも満足できる展示をやっているところがないのが残念ですね。


■近藤サヨコ プロフィール

1979.08 名古屋で生まれる
2002.03 名古屋造形芸術大学 総合造形科 卒業
2007.01 個展 「花と蝶と」 (ギャラリーアートフェチ)
2007.08 個展 「待宵月」 (ギャラリーアートフェチ)
2008.11 個展 「彼方の黄昏」 (ギャラリーアートフェチ)
2011.05 グループ展 「Woodland Gallery 2011」(美濃加茂文化の森)

ホームページ http://www.kondosayoko.com/

■展覧会スケジュール
近藤サヨコ映像展「蒐集するにあたり」
日時/2011年7月16日(土)~8月7日(日)13:00~19:00
   ※会期中の金・土・日曜日・祝日のみ開廊
場所/CROSSING(名古屋市中区栄2-4-12 チサンマンション広小路2F 209)
   ※7月16日より開設

2011年3月14日月曜日

あいちトリエンナーレ2010アシスタント・キュレーター 吉田有里さん

アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。
今回は、あいちトリエンナーレ2010アシスタント・キュレーターの吉田有里さんにお話をうかがいました。

■アートとの出会いについて教えてください

私が中学生だった1995年に、自宅から自転車で行ける距離に東京都現代美術館ができました。その時、美術館がリキテンシュタインの作品を何億円かで購入したことを知り、「学校にはクーラーがなくて暑くて勉強できないのに、そんな高い絵を買って」と怒りにかられて見に行ったんです。そうしたらジェフ・クーンズの掃除機の作品などおもしろい作品が展示されていて、それまでは絵や彫刻が美術だと思っていた私には衝撃でした。その後いろいろ調べていくうちにそれが現代美術というものだとわかり、それが勉強できる大学があることを知って、多摩美術大学の芸術学科に進みました。
大学では、アーティストや展覧会をつくっている人やその仕事に興味を持ち、ボランティアで現場に関わるように。2002年の「コマンドN」では、秋葉原の家電店に並んでいるテレビに映像作品を映す「秋葉原TV3」いう企画で、お店の方と交渉したり、チラシで宣伝したり、アーティストの制作の手伝いをしました。それがきっかけでキュレーターやコーディネーターなどアートに関わる人たちと出会い、彼らが関わるプロジェクトを手伝うようになりました。
その後は、2004年にBankART1929に手伝いに行くうちにアルバイトになり、卒業後もそこで仕事を続けました。

■在学中からまさに現場で学んでこられた吉田さんですが、大学にはアートマネジメントを学ばれたのですか?

多摩美術大学は現代美術を専門としている教授が多く、論文と展覧会・イベントの企画が芸術学科の卒業課題でした。私は建畠さんのクラスでしたが、BankARTでアルバイトを始めていたので、BankARTを会場にして、「国際展とは何か」というシンポジウムを企画しました。それは、05年の横浜トリエンナーレのディレクターが磯崎新さんから川俣正さんに交代するきっかけとなる場となりました。マネジメントというわけではありませんが、大学に実践の場は多くありました。

■Bankartではどんな仕事をされていたのですか?

Bankart自体が地域に開いて行くスペースで、まちなかでの展覧会が多く、私が担当したものにも街に出て行ってというものが多くありました。具体的には、横浜にある飲食店100店舗に作品を設置する「食と現代美術展」のプロジェクトや、空きビルを使った展覧会などです。

■「秋葉原TV」から一貫して地域系の展覧会に関わっているのですね

私は美術館の学芸員をしたことがないですが、最初から実践の場が街だったので、ごく自然に抵抗なくまちなかでの展示に関わっています。

■「あいちトリエンナーレ」にはなぜ関わることになったのですか?

BankARTを退社した時、恩師の建畠さんに声をかけていただきました。「あいちトリエンナーレ」のまちなか担当にと推してくださったのも、それまでの仕事を見ていてくださったからだと思います。

■長者町は問屋街で一般的な商店街とは異なりますが、やりにくかったことはありますか?

名古屋に来るまで街が得意だとは気づいていなくて、ごく自然にやっていました。まちなか担当として仕事をするようになり、あらためていろいろな視点で考えるようになったのですが、長者町はまちなかのアートプロジェクトへの重要な要素が重なっている奇跡的な街だと思います。まずスケールがちょうどいい。完全なシャッター街ではないし、問屋街なので集客しても店の直接的な利益にはならず、利害関係が生まれません。街の人たちは、トリエンナーレといっても最初は「何語?」という状態でしたが、前年にプレイベントをやったことで理解してもらえるようになりました。まちづくりにも熱心で、最初から応援してくれている人たちがいて、力を貸してくれたのも大きかったです。

まちなかのプロジェクトは生活している人にはたいへんなことやリスクが少なくありませんが、長者町は約2万人が働いているものの、約400人にしか住んでいません。夜はほとんど人がいないので、パーティーや夜中の作業をしても苦情がありません。ほとんどの店舗が土日休みなので土日にイベントもできます。シャッター街を使ったプロジェクトだと街自体に活気がないので何事もスピーディにいきませんが、長者町では社員の方が業務の一環として、まちへの貢献のために手伝っていただけたのでスピーディに準備が進められました。また土地と建物の所有者が同じ場合が多く、オーナーひとりの判断で場所を借りることができたりと、長者町にはまちなかのアートプロジェクトで問題になりそうな要素を最初から回避できるポイントがたくさんあったといえます。

また、よそ者を排除するかと思いきや、東京からわざわざ来たんだからすごいことをやるんじゃないかと逆に期待してくれたようです。街の人たちは、このまま繊維業だけ続けていたら衰退するという危機感を持っていて、ゑびすビルのプロジェクトやゑびす祭りを行うなど、どうにか街を変えたいという気持ちが強かったようで、新しいことやよそ者を歓迎してくれました。

たいへんだったのは、5月末まで展示する場所が決まらなかったこと。作家は3月にはほとんど決まっていましたが、場所が決まらないからプランが出しようがないという人もいて、逆にプランを出してきた作家にはそれに合わせて場所を探さなきゃいけないということもあり、時間と場所のせめぎ合いで苦労しました。その甲斐あって、芸文センターと同じくらいの面積を確保できました。

■特にやりがいがあったのはどの展示ですか?

担当していた中では、KOSUGE1-16の山車プロジェクトです。とくにKOSUGE1-16の山車プロジェクトは、プレイベントから2年がかりで取り組みました。
プレイベントといえば、09年4月にはじめて長者町に来て、5月に開催が決まったのが、10月に行われた「長者町プロジェクト」でした。9か所で展示を行いましたが、5月の時点で確保されていたのは繊維卸会館だけでした。
「長者町プロジェクト」は、トリエンナーレの展示場所の確保や街の人へのプレゼンという意味でも重要でした。街の人はアーティストのイメージがないので、場所を貸してくださいとお願いしてもペンキをぶちまけられるんじゃないかと不安なわけです。なのでプレイベントの会期中に土地の所有者や社長さんにアポイントをとって、個別ガイドツアーに参加していただきました。30回くらい行ったと思います。こういう感じで空間を使うというイメージを伝えたり、現代美術といってもこういうことをやりたいということを丁寧に説明していきました。

■いま長者町にどんな可能性を感じていますか?

いろんな要素が詰まっている街なので、トリエンナ―レを一過性のイベントで終わらせたくないですね。アートと街の関係性を継続して実験していくための、いいモデルケースになるのではないでしょうか。

■東海のアートシーンについて感じることは?

それぞれいろいろ文化的活動を行っている人はいますが、つながりが少ないように思います。大がかりでないイベントをやる場所がないので、フランクにいろいろなことかできる場所があるといいですね。長者町地区にはその可能性があると思います。アートアニュアル宣言をしたり、ナウィン・ラワンチャイクンの壁画やKOSUGE1-16の山車を街が引き取って管理することなり、それに併せて街で基金が設立されることになりました。

■今後の展開について教えてください

13年のトリエンナーレに向けて継続していける仕掛けを、事務局で考えていきたいです。現在もATカフェのあった場所でサポーターズクラブの「トリ勉」などのイベントが開催されていますが、あのビルをうまく活用していきたいというのが街の人の要望でもあり、事務局の希望でもあるので、イベントなどを行う拠点として残していけたらと検討しています。
また、どこかのイベントと連携して情報発信していけるシステムをつくっていけたらと思っています。トリエンナーレのことだけでなく、名古屋や愛知で行われているイベントと連携して、地域づくりの活動を全体にサポートすることでトリエンナーレにも返ってくるものがあるはずです。

2010年12月16日木曜日

ファン・デ・ナゴヤ美術展「黒へ/黒から」 企画者 片山浩


アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、2010年1月に開催のファン・デ・ナゴヤ美術展2011「黒へ/黒から」を企画されたアーティストの片山浩さんにお話をうかがいました。

ファン・デ・ナゴヤ美術展に企画を応募されたのはなぜですか?

「黒い作品」を集めたら、どんな展覧会になるんだろう?という興味は以前から頭の片隅にあったのですが、一見地味とも思える展覧会なので、ギャラリーなどに持ち込んでも関心は持たれにくいのではないかな、とも思っていました。そんな時に目に留まったファン・デ・ナゴヤ美術展の企画募集のチラシを読んでみると、今回から1室からでも企画応募が出来るとありました。もしかしたら小さくても密度のある展覧会が出来るのでは…と思い、応募しました。

展示の概要を教えてください

「黒」と「銅版画」をキーとして10人の作家が出品します。銅版画を経た彼らが持つ「黒」に対するこだわりや美意識には独特のものがあると思います。ただ、彼らすべてが現在、銅版画で制作しているわけではありませんので、リトグラフや写真など他の表現による作品も出品されます。表現方法が銅版画から変わっても「黒」に対する意識は彼らの中にとどまり制作の芯になっているように思います。そういった彼らがもつ「黒」への特別な意識をあらわにしたいと思います。

黒にこだわった版画作品に着目されたのは、片山さんのどんな問題意識からでしょうか?

実は「黒い作品」に興味を持ち始めたのは最近のことなのです。そのきっかけは、2008年にドイツのハノーファーでドローイングのワークショップに参加した時に、画材店で手に入れたグラファイトやチャコール、インクの黒の色の幅が新鮮で、それらを使って黒いドローイングを多く描いたことがあります。ワークショップから帰って来て、リトグラフの工房の隣にある銅版画の工房をあらためて見てみたら、「黒い」作品がそこで制作されている…。しかも幾人かの学生や作家の「黒」へのこだわりは尋常ではないように思えました。銅版画は版画の中でも版の表情やプロセス、技法の多様さなど要素が多い版種なので、イメージ性の他にもそのプロセスや版のあり方に関心を寄せる作家も多いのですが、私が彼らの作品の中から最も惹かれたのは色彩としての「黒」のあり方でした。
大学などで銅版画を学ぶ際は、当たり前のように黒いインクで刷ります。ほとんどの学生はその後、何の疑問も感じず、その黒インクを使い続けるのかもしれません。長い制作活動の中で、初めての銅版画制作で触れた色である「黒」を使い続ける彼らの「黒との関係」とはどんなものだろう?これから彼らはどんな距離感を保ちながら「黒へと向かうのか?」あるいは「黒から離れるのか?」という疑問がこの展覧会のアイディアの発端です。

現在、名古屋芸大でリトグラフを教えているので、先程のリトグラフの工房とは名古屋芸大の版画コースのことなのですが、同じ大学でも版種が違うとすぐ隣の工房なのにまるで雰囲気が違います。リトグラフで制作している私にとって、どんな色で作品を組み立てていこう、と考える過程は制作の上でとても重要なのですが、隣の部屋ではイメージやプロセスが違う作家達が、「黒」で刷っている。学生の講評会に出た時には「なぜ彼らは皆、黒で刷るんだろう?」という強烈な疑問が湧くことすらあります。ただ、興味深く彼らの制作を眺めていると、銅版画のプロセスの中で版の表面の表情を微妙に変えながら、「黒」という色彩を豊かに立ち上がらせようとしているように見えました。つまり数ある色彩の中の「黒」ではなく黒の中の「黒」を見つめているように思えたのです。この銅版画でどっぷりと作品制作を経験した作家の「黒」への感覚の独特さに気づいたことが、銅版画を経た作家よって展覧会を構成しようと思った理由です。

10名の参加作家はどのように選ばれたのですか?

始めから「銅版画を経験した作家から」という決め事をしていた訳ではありません。興味深い「黒い作品」をあげていくうちに銅版画による作品が多かったことと、私の銅版画に対する認識の変化から、「銅版画を経験した作家」を探すことにしました。

もともと1室で小さく密度のある展覧会を目指したので、作品の大きさよりも作品の持つ密度と色彩としての「黒」の質が違う作家を探しました。もう一つは「知られていない作家」を見たいということがありました。大学で版画に関わっているといくつもの版画のグループ展を見る機会が多いのですが、作品の大型化、版の概念の拡大といった問題を扱う「版画展」にはあまり関わってこない作家を探しました。企画に応募をする段階では、阿部大介さん、尾野訓大さん、川田英二さん、川村友紀さん、山口恵味さんに出品を依頼しています。

「黒へ/黒から」の企画が採用されてから、3階の全室を使うことになったので、出品作家を増やす必要が出てきました。基本的には20代から30代の作家による展覧会と思っていたのですが、もっと上の世代、つまり私が学生の頃に見て学んだ作家たちの20代から30代の時の作品と現在の20代から30代の作家の作品とが並んだ時に、どのようなことがおこるのだろう、という関心が生まれました。そんな時に白土舎の土崎さんに鈴木広行さんの70年代の作品を見せて頂いたときに、作品から受ける印象がとても新鮮だったので、このアイディアを進めることにしました。新作ではなく旧作を出品することを依頼することは難しいかと思いましたが、鈴木広行さんにはその後、快諾して頂きました。さらに作家を探す中で、織部亭の25周年のパーティーで武蔵篤彦さんとお話する中で、アメリカ留学時代に制作したモノクロームの銅版による作品の話を聞きました。武蔵さんはカラーリトグラフによる作品のイメージが強いと思いますが、そのアメリカでのエピソードを聞いた時にその「色と質」の起源を知ったように思い、その作品を出品して欲しいとお願いしました。そしてエンク・デ・クラマーさんはベルギーで活動している作家ですが、2004年に名古屋芸大の客員教授として滞在制作をしています。その時、制作を間近で見る機会があり彼の作り出す「黒」の強さが印象的でした。彼の作品を取り扱うOギャラリーに相談をしたところ出品に協力頂けることになりました。そして、その後もいくつかのギャラリーでの展覧会を見る中で、東条香澄さん、森田朋さんに出品を依頼しました。

今回、片山さんは出品されていませんが、それはなぜですか?

私には彼らのように「黒」に取り組み続けたことはありません。私の作品と制作における経験はこの展覧会のテーマに沿わないのです。自分が出せる展覧会ではなく、見たい展覧会を作る、というのが発端なので、始めから出品することは考えていませんでした。ただ、展覧会のことを考えるにつれて、どんどんと関心は深くなっています。

準備にあたり、ご苦労されたのはどんなところですか?

出品作家同士がほとんど初対面だったので、作家同士のコミュニケーションや展覧会に対する私の考えを伝えることには時間をかけました。作品に関しては彼らが会場でどのように展開することになるのか、楽しみにしています。
準備にあたっては、いろんな人にアドバイスをもらったり手伝ってもらったりしているのでそれほど苦労というものは今のところ感じていません。ただ、これから展覧会が終わるまでに起こる、いろんなことに対する準備が大変になるだろうな、という予感があります。

ズバリ見どころを教えてください

さまようように「静かな密度のある」黒い作品の中を歩いてください。会場をうろうろとする中で、作品のなかに潜む作家の視点や考えを見つけてもらえたらと思います。

最近、特に20代から 30代の7名の作家の作品を見ていて気がついたのですが、彼らの画面の中にはそれぞれ独特の時間の流れが閉じ込められているように思います。その時間の流れは、銅版画という表現方法を通してでしか獲得出来ないものかもしれません。「黒」という色彩とともに「時間の流れ」が見どころかもしれません。

鈴木広行さん、武蔵篤彦さん、エンク・デ・クラマーさんは現在も次々と新しい作品を発表されていますが、今回は30代のころ、どっぷりと「黒」に取り組んでいた頃の作品も出品して頂きます。当時を御存じの方は、今の20代から30代の作家と作品を並んだときに、それらの作品がどのように見えるのか、という見方も面白いのではないでしょうか。

東海のアートシーンについて感じられていることを教えてください

作家が良い距離感を保って活動が出来る場所だと思います。
ただ、アートシーンとして考えると、どれ程の密度があるのかな、という疑問もあります。
質の高い作家は多くいるので、彼らとキュレーターやギャラリー、美術館がもっと交錯してもいいのに、と思うのです。街の規模からするとアートの気配はまだまだ希薄かな。東海の人はもっと「東海のアート」を見つめる必要があるのではないでしょうか。


片山 浩
1971 大阪市生まれ
1994 名古屋芸術大学美術学部絵画科洋画専攻版画選択コース卒業
1997 愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了

個展
1996 STITCH(ガレリア・フィナルテ/名古屋)
1998 ガレリア・フィナルテ/名古屋
1999 printings(ギャラリーAPA F2/名古屋)
2001 in the past(ガレリア・フィナルテ/名古屋)
2003 I smell it in the air (ギャラリーAPA F2/名古屋)
2004 one mimute ago(ガレリア・フィナルテ/名古屋)
   one mimute ago(ギャラリーAO/神戸)
2006 Scent / Water / Light (King Mongkut's Institute of Technology/バンコク/タイ)
scene(ギャラリー芽楽/名古屋)
2007 In defferent scenes(ギャラリー芽楽/名古屋)
2009 Into the depth of the trees(ギャラリー芽楽/名古屋)
   In defferent scenes(ギャラリーすずき/京都)
2010 Cell, ちいさい部屋の平面(名古屋大学教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」)
   surface of a room (ギャラリーAPA F2/名古屋)      ほかグループ展、多数

■ファン・デ・ナゴヤ美術展「黒へ/黒から」
会期/2010年1月13日(木)~23日(日)9:30~19:00(16・23日~17:00)1月17日は休館
会場/名古屋市民ギャラリー矢田 第2~7展示室
出品作家によるアーティストトーク
日時/1月16日(日)14:00~
会場/第2展示室
※同時開催「From Thank-Cyu」アーティストトークなど(1月16日 16:00~、第1展示室)の後、懇親会を予定

■関連展覧会
「黒へ/黒から」at AIN SOPH DISPATCH
2010年1月15日(土)~29日(土)
※阿部大介、川田英二による二人展
http://ainsophdispatch.org/

「黒へ/黒から」at 月の庭
ファン・デ・ナゴヤ美術展2011と同時開催
http://tukinoniwa.jp/

「稲垣元則とENK DE KRAMER」
Oギャラリーeyes(大阪)
2011年1月24日(月)~2月5日(土)
http://www2.osk.3web.ne.jp/%7eoeyes/

写真/東条香澄《夜の入り口》2010年

2010年9月16日木曜日

アーティスト・平川祐樹

アートホリックな人のいまをお届けするこのコーナー。今回は、アーティストの平川祐樹さんにお話を うかがいました。
 
アートとの出会いについて教えてください。

小学生の時、家の近くに豊田市美術館が開館しました。友人と2人で何度か見に行ったのですが、ある企画展でジュゼッペ・ペノーネ氏の「12メートルの木(1982)」という所蔵作品が展示してありました。
小学生なので「何故、木が美術館に展示してあるの?」と不思議に思って眺めていたのですが、たまたま近くにいた中年の男性が「これはもともと角材から彫り出されているんだよ」という説明をしてくれました。
作品の核となる部分に触れたような感覚があり、とても感動しました。
その時の胸のざわめきが、アートとの本当の出会いだった気がします。

映像に興味を持ったきっかけは?

子供の頃はゴジラやモスラといった特撮映画が大好きで、映画監督に憧れていました。
高校生の時に遊び半分でビデオ作品を制作してみたのですが、とても面白く、それ以来本格的に映像制作を志すようになり、映画の学べる美大に進学しました。

映画ではどんな作品に興味を持っていたのですか?

ア ンドレイ・タルコフスキー監督「ノスタルジア」、テオ・アンゲロプロス監督「永遠と一日」、邦画では小栗康平監督「眠る男」が好きです。
現実と幻想が入り交じるような物語に強く惹かれる傾向があります。
この3作品は、映像の速度が非常にゆっくりとしているのですが、そういった部分にも惹かれるのだと思います。

映画から映像作品にシフトしたのはなぜですか?

映画と映像の定義が曖昧になりつつある現代ですので、私の作品がどちらに位置するのか判断が難しいところです。
学生時代に10作品ほどの劇映画を監督したのですが、制作における根本的な部分は同じです。
ただ、映画館などの上映スペースではなく、ギャラリーなどの展示スペースで発表する事が多くなったため、映像作品と呼ばれる機会が多いのだと思います。
スクリーンと空間・場所・観客の関係性を扱うようになってから、発表の場がギャラリーへと移っていきました。
人物はあまり出てきませんが、物語の構成もあるので多面スクリーンの映画作品を制作していると思っています。

2009年以降のインスタレーション作品は、映画の各シーンという設定が背景にあるシリーズとして制作しています。
映画のシーンを断片化して映像インスタレーション作品として発表し、数十作品が集まって展示されると、1つの物語のようなものが見えてくるように構成しています。

映像、映像インスタレーション、写真と複数のメディアで制作されていますが、メディアはどのように使い分けているのですか?

時期によって、表現したいコンセプトが刻々と変化しているので、そのコンセプトを最も表現するのに向いているメディアを選んでいます。
デジタル・メディアの面白い点は、すべての情報がメディア間を簡単に横断できる点です。
各メディアの境界は非常に曖昧で、確固とした定義付けはとても難しい状況です。
パソコン上では写真を映像の一部に使用したり、逆に映像の一部を写真として使用する事がなんの違和感もなく行えてしまいます。
今のところ、作品に時間軸が必要であれば映像作品に、不要であれば写真 に、空間が必要であればインスタレーションとして発表しています。
映像インスタレーションの場合、空間を時間に置き換える事ができるという点も重視しています。

これらのメディアをとおして平川さんが表現したいことは何ですか?

すべての作品を同じテーマで制作している訳ではないので、一言で表す事はなかなか難しいのですが、「メディアの発達によって変化してきたリアリティのあり方」と括る事ができます。
私が感じているリアリティというのは、現実との直接的な繋がりの上に成り立った現実感なのではなく、常にメディア(媒体)を通して再構成されたリアリティだという点です。
そして我々自身もまた、そのメディアの一部になっていると思います。

現在開催中のグループ展 「浮森」ではどのようなテーマで制作されていますか?

最近は「断片化された物語」というものをテー マに制作しています。
本来、始まりと終わり(話の筋)があって成立するはずの物語が、その時間軸を失って断片化している状況は、現代社会の様々な部分で見られます。テレビをつけると、何の脈略もなくドラマのシーンがはじまり、チャンネルを変えると殺人事件のニュースが流れます。それらは社会の中で起きている様々な物語の一部であり、当事者でない限り物語の前後関係は断絶されてしまって います。
そうして断片化された物語には、物語の「予兆/残余」だけで構成された現実感が存在しています。
その現実感を、作品を通してどうにか現前化させようと試みています。

「浮森」では、断片化された映画のシーンというシリーズ作品から、森に関する作品を2点出品しています。

文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品《Resight》(2007年)では、
その場所が持つ歴史や時間を立ち上げていましたが、サイトスペシフィックな作品の制作は平川さんにとってどのような意味を持ちますか?

現在、名古屋駅南に流れる中川運河の地霊(ゲニウス・ロキ)へとアプローチしたサイトスペシフィック作品の制作を行っています。
地霊とは、その場所が持つ特有の雰囲気をさし、歴史的背景・地形・人々の営みなど様々なものによって醸し出されるものです。
過去の蓄積であると同時に、場所の「予兆」であり、時間軸を持った物語でもあります。
そういった地霊から読み取った物語を運河周辺で撮影し、映像作品にその雰囲気を閉じ込めようとしています。

サイトスペシフィック作品の場合、物語は場所から生まれ、場所に帰ってゆく事が出来ます。
「断片化された物語」をテーマに作成しているシリーズが、都市の中で宙づりになった物語だとすると、サイトスペシフィック作品は大地に横たわった物語です。
ともに、現代の物語のあり方を探っているという所で、私の中では一貫しています。

現在制作中のサイトスペシフィック作品は、あいちトリエンナーレ企画コ ンペ入選企画として「中川運河 -忘れ去られた都市の風景-10/愛知芸術文化センターアートスペースX)」にて発表予定です。


東海のアートシーンについて感じていることがあれば教えてください。

名古屋はよく「刺激が少ない街」のように言われる事が多いですが、作家がアトリエを構えるにはちょうど良い刺激量の街だと思います。
中心街にいってもそこまで人口密度が高いわけでなく、街の中に適度な空白があり、遠浅の海辺のような雰囲気があります。
あいちトリエンナーレ2010が開催され、東海のアートシーンが活気づいているように見えますが、その活気をいかに持続していくかが、私たち地元作家の課題だと思います。
その一つの方向性として、地元作家のコミュニティ形成というものが重要になってくるのでは無いかと思います。


平川祐樹

1983年 名古屋市生まれ、豊田市育ち
2008年 名古屋学芸大学大学院メディア造形研究科修了
現在、名古屋市在住

【主な展示、上映会】
2007  Toyota Art Competition 2007(立体部門優秀賞) | 豊田市美術館、豊田市
    KOBE BIENNNALE | メリケンパーク、神戸市
     蔵にひそむアート | 野田味噌商店蔵の杜、豊田市
2008  Light in the Dark | Yebisu Art Labo、名古屋市
    ヴァーチャルリアリティ | Galleryアートフェチ、犬山市
     ASK?映像祭2008 | ASK?、東京都
2009 名港ミュージアムタウン | 築地口界隈、名古屋市
     Asia Digital Art Awards 2008 | 福岡アジア美術館、東京ミッドタウン
    第12回文化庁メディア芸術祭 | 国立新美術館、東京都
    白昼夢 DayDream | 愛知県芸術文化センター、名古屋市
     ASK?映像祭2009 | ASK?、東京都
    Festival Miden 2009 -Urban (R)evolution | Histric Centre of the city of Kalamata、ギリシャ
     Electrofringe 09 |Newcastle、オーストラリア
    個展「乖離するイメージ」|Standing Pine-cube、名古屋市
    KC-LAB1 |Korzo5Hoog、オランダ
     KoMA'6 |Hall of Faculty of Music in Belgrade、セルビア
2010  ART FAIR KYOTO in Hotle Montrey | Hotel Moterey,Kyoto、京都
    映像の学校 「愛知の新世代たち」|愛知芸術文化センター、名古屋市


【今後の展示、上映予定】
「浮森 -floating forest
2010 911日(土)~103日(日)
Standing Pine -cube(中区栄)
出品作家:伊藤正人、田口健太、平川祐樹

あいちトリエンナーレ2010現代美術企画コンペ入選企画展
「中川運河 -忘れ去られた都市の風景-
2010 106日(水)~1031日(日)
愛知芸術文化センター・アートスペースX
企画:田中由紀子 出品作家:平川祐樹、水野勝規、吉田知古

上映「Cinesonika
20101112日(金)~21日(日)
Simon Fraser University Surrey Theatre(カナダ)

写真:《synchrome
Double Channel Video Installation,2009,08:40 loop,Full HD,Silent